ソレが帰ってきた!


12月6日午後、思いもよらない事故でパギといっしょに遊んでいたソレが死んだ。
わずか14か月の生命の果てだった。
パギとともにわが家の庭に捨てられていた時からかぞえれば、ちょうど1年を過ぎたばかりだった。


ほんとうに仲のよいパギとソレだった。
去年の11月半ば、2匹の子犬が捨てられているのに気づいた時には、白い子犬をまず北側の垣根のそばで見た。やられた(捨てていきやがった)! と思ったのは後の祭り。やがて、その白い子犬と新たにブチ茶の子犬が庭の茂みでじゃれあうように遊んでいるのを目撃。
「捨てられた」というじぶんたちの身に降りかかった無慈悲で過酷な現実もなんのその、押しあい噛みあい転げて遊んでいる。
キャッキャと笑い声さえ聞こえてきそうだ。






この1年間の2匹の子犬の成長を眺めながら、「遊びをせんとや生まれけん」の有名なことばはじつは犬のこんな姿から生まれたのではないだろうかと感じたほど、かれらの日々はひたすら遊びが中心だった。
しかし、その遊びの果ての事故死という事実は皮肉でもあり、また考えようによっては幸いであったのかもしれない。



ソレがいなくなって4日後の12月10日朝、えさを食べ終わったパギが甘えるように鼻をならしながら部屋の中をうろついていた。
ついこのあいだまで、この時間帯にはころげまわるようにしていっしょに遊んでいたソレを思い出しているのかナ、と、その時にはそういう気がした。
そして、その翌日。
この日も朝からなんべんか鼻をならしながらソレを探すそぶりを見せていたパギ、やがて夕方、部屋をぐるりと見渡してからおもむろに庭に出ると、ソレを埋葬した墓の前に立ち前足をゆっくり動かしながら土をひと掻きふた掻きしていたが、とつぜん片隅に置いてあった線香立てをパクリとくわえるとサッと走り去っていった。
まるで、ソレに、ホラ追いかけてこいといわんばかりに、いつも通りのしぐさで走った。
部屋のなかでその様子を眺めていたぼくは、そばにいた丁稚のダルに、見てごらんと声をかけたのはちょうどパギがまだ土を掻いているときだった。
「ソレのにおいがするんだ」
とダルは言ったが、果たしてそうだろうか? 死後5日もたって土中で生前のにおいが残るものだろうかと疑わしく思った。
パギがくわえていった線香立てをダルが取りにいき、ぼくはパギの様子を見に庭まで出ていった。



ぼくの姿を目にしたパギは、さっと頭を低くし、からだを前にかがめ腰を高くもちあげて左右にふっている。遊びを「挑発」するときの姿勢であり、「ここまでおいで!」と追いかっけっこを誘う犬特有のしぐさだ。
ようし、とこちらもその体勢に合わせて走り出すとパギは耳を寝かせダッシュして逃げる。急に方角を変え低い姿勢でこちらにむかって走ってくるとぼくの脇を猛スピードで駆けぬけていく。手で捕まえるよゆうもなく、走りぬける後ろ姿を追いかける。
あっちへ走り、こっちへ戻ってきてとくりかえし開けた口からは長い舌がのぞき、いかにも楽しくてしょうがないという表情をしている。



しかし、実はパギはこんなことをいまだかつてしたことがない。ソレが、ぼくと遊ぶときの姿そのものだ。
こうやって追いかけっこをしているぼくとソレの姿をパギは目で追い、やがてソレに向かって走っていく。そこで、いつもぼくは遊びつづけるソレとパギを残し家の中にひきあげていた。


ソレだけがしていたあのしぐさを、いまパギがしている。あたかもソレがパギに乗り移ったかのように。






翌12日朝、エサを食べ終わったパギはしばらくしてから庭を駆けはじめた。ふっと立ち止まりキョロキョロ周囲をうかがっている、あとを追いかけてくるはずのソレの姿を探しているのか、それとも追いかけていたはずのソレの姿を見失ったのか。
すっと顔をあげると、ふたたび身を低くして全力で走っていく、ソレがよく身を横たえて休んでいた場所をのぞくがなんの気配もない。

もういちど見つけた! パギは走る、ソレを追いかけて走る。

永遠に追いつくことのない最後の遊びの記憶をパギは追いかけつづけていた。