2010-01-01から1年間の記事一覧

帰ってゆく風景 ── 母、そして子 『100年前の女の子』を読む 最終回

「100年前の女の子」だった寺崎テイさんには、母と呼ぶひとはいなかった。 テイさんが記憶している、あの懐かしい高松村の風景のなかに母の姿はいちども見なかったのである。 1909(明治42)年8月10日、朝から雷がとどろき豪雨が見舞い、やがて猛暑となった…

帰ってゆく風景 ── 陽気なひとびと 『100年前の女の子』を読む 4

この本を手にする前に、たまたま『逝きし世の面影』(渡辺京二)を読んでいた。それで、しばらくの間ふたつの本を並べて交互に読むことになった。 『逝きし世の面影』は幕末から明治にかけて日本にやってきた外国人たちの見聞記を著者が丹念にひろいあつめ、…

帰ってゆく風景 ── 包容力 『100年前の女の子』を読む 3

先日の日曜日、近所の美容室で散髪した。 目をつぶって髪を切ってもらっていると、表通りを行き交う車やバイクのヒステリックでせわしない音に混じって竹笛の単調な響きが耳に入ってきた。 目を開けると鏡のなかに通りを挟んだ向こう側の歩道を、白いシャツ…

帰ってゆく風景 ── わたなべせんせい 『100年前の女の子』を読む 2

こどもの頃に通った学校の先生たちの姿を思い出すことがときどきある。 かれらが教壇に立っていた頃の年齢を遥かに超えてしまったいまのぼくは、あの若き教師たちのときに見せてくれた情熱が懐かしい。 中学1年のときの英語の担当は坂井先生という小肥りで…

帰ってゆく風景 ── 物語のはじまり 『100年前の女の子』を読む 1

100年という人生はひとにどんな記憶を積み重ねていくのだろうか、あるいはいかなる記憶だけが100年の月日の流れのなかから浮かびあがってくるのだろう。 近親にも周囲にも100年という気の遠くなるような時間を生の歩みとして経てきたひともいないので、それ…

バリ塩の話

一時帰国するときにはかならず「バリ塩」を友人たちへのみやげに持って帰る。 このあいだは3kgをすこし超えていたので、あらかじめEMSで送っておき小分けしてからそれぞれ友人に手渡した。 総額500円にも満たない価格のものを、4,300円の送料をかけて送るの…

つぶやく 3──21日〜24日のツイッター投稿から

11月21日(日) 今朝のBali Post/ギアニャール警察は昨日ブラバトゥ、スカワティ地区のラブホテルの取り締まりをおこない、4組の不倫カップルを摘発した。うちひと組は公務員(42)と女子学生(20)だったが、摘発されたカップルの中には警察官の妻もいたという情…

果実のなる庭

‘97年から3年間住んでいたプリアタンの借家の庭にはマンゴーの樹があった。 あまり威勢はよくなかったが、毎年かならず実をつけ知らないうちに家主が収穫してしまう。気づいた頃には、実をつける前のもとの姿にもどっていた。 一度だけ、まだ熟す前のマンゴ…

つぶやく 2 ──19日 / 20日のツイッター投稿から

11月19日 今朝のBali Post/*密輸用に捕獲されていた87匹の緑ウミガメが保護され、昨日クタ海岸で放たれた。1匹4-5万円で取引。*国立サンラ病院はグレードアップのため見舞客が廊下に居座る状態や時間外訪問の禁止、ノラ猫の駆逐を行った。──グレードアップ…

つぶやく ── 17日 / 18日のツイッター投稿から

11月18日 昨日の敵に施しを受ける。ティモールレッセ政府は被災者むけに$100万をインドネシア政府に寄贈。ほかに米、欧州、近隣諸国から$750万の援助がすでに受け渡されているが、使途についてはまだ不明のまま。 http://de.tk/jPfWp posted at 14:57:36 …

エレンディラ風? マルキッサ

マルキッサ(パッションフルーツ)を庭で育てているひとは、ぼくの知る限りでも何人かいる。ペジェンに住む若いアメリカ人Ch.もそのひとりだ。 かれが家を建てるときにすこし手伝ったが、1年ぶりに訪ねたときには庭木もすっかり根づき見違えるような緑にお…

プール日和の朝

陽が昇ってまもなく、いつもと同じように今日も暑い一日になるような気がした。 ひさしぶりに隣りにあるレストランのプールで泳いでみようかと思ったのは、ちりちりと空気が灼けてきたからだけではない。 このごろ、なんだかからだの動きがぎごちないのだ。…

いくつもの風景

田おこしのすんだ翌日は、半日、音もたてずに雨が降っていた。 農夫の姿のない水田にはココカン(白鷺)だけが歩きまわっている。 つぎの日には田植えがはじまった。 二期作、ときには三期作も可能なバリの水田だから、田園地帯を車で走ると、犂起こしをして…

パッションフルーツ

1週間ほど前、パッションフルーツの蔓枝(つるえだ)が花芽をたくさんつけはじめているのに気づいた。 去年4月、「自宅で穫れたの」と1個のパッションフルーツを知り合いから頂戴した。種をとりわけ、鉢に蒔いて間もなく芽をだした。 苗を、南側のフェン…

ムラピ大噴火

「ジョクジャカルタ火山研究調査所(BPPTK)のスバンドリオ所長は五日、先月二十六日から始まったムラピ山の一連の噴火活動は、一八七二年の噴火以来の大規模なものであるとの認識を示した。 一九三〇年に起きた火砕流では千三百人以上の死亡者が出たと…

ココカン

北側の田んぼでは今朝から「田おこし」が始まった。いまでは耕作機械を目にするのがあたりまえになったが、バリに住みはじめた頃は、鹿のような容姿のバリ産の牛に鋤(すき)を引かせているのどかな光景がどこでも見られた。 田おこしが始まると、ココカン(…

昇るひと眠るひと

昨日はプリルキサン美術館へ出かけ、そのあとスターバックスに寄ってから徒歩でぶらぶらとプリアタンのタガスまで歩いた。 ギアニャールに車で買い物に出ているスタッフとどこかで落ち合うようにしていたが、けっきょく1時間あまり歩いてタガスに着いたとこ…

美術館からスタバへ

久しぶりにプリ・ルキサン美術館を訪ね、Bali Deep 展を観る。開館まもない時間で誰もいないからゆっくりと観てまわることができた。 それにしても暗い館内だ。 左上 dewasugi(部分)、右上 kyoko kakehashi、下 koji ikuta インドネシアのコンテンポラリー…

プリアタンの大葬儀 2

ナガ・バンダ。死者の霊を天上にみちびく乗り物。龍ではなく蛇に由来するらしい。上級カーストの葬儀プレボン / Plebon に登場する。プラ・ダレム(死の寺院)の入口階段の両脇に、このナガ・バンダの石彫がよく見られる。 確かめていないが、輿に乗ったこの…

プリアタンの大葬儀

マンションという名のホテル

このごろよく耳にする「マンション」。いわゆるマンションかと思っていたら、どうもホテルの名前らしい。場所は、サヤンのプネスタナン通りにあると聞いて「あ、ひょっとしたらあの建物かな」と思いあたるふしがあった。 10年以上前になるが、ウブッドからサ…

10月最後の日曜日

今朝は7時に家をでて、サヌールのマングローブ林でのゴミひろいのボランティアに参加した。 川に捨てられたゴミが海にながれ、潮汐でふたたび海岸にたどりつきマングローブ林にたまっていく。行き場のなくなったそのゴミの回収というわけだ。 本心をいうと…

晴れ間をぬって 2

10月といえばもともとこんな天候だったんじゃないかな、と思い出させてくれるような好天がつづいている。 晴天に恵まれているうちにと、工房の屋根の修繕、あずまやの屋根の全面葺き替えを大工に頼んだところ、作業は3日前からはじまった。 稜線にそって左…

バリにもどる飛行機のなかで

バリにもどる飛行機のなかでは、池澤夏樹の短編集『きみのためのバラ』を読んでいた。 なかでも「都市生活」の一編に、東京で過ごしたわずかな日々の余韻をあらためて感じ、機内でくりかえし二度読むことになった。 余韻はけっして心地よいものではなかった…

東京 1 週間

先週日曜日、東京に到着した。 翌日には雨が降りはじめる。 バリの雨から逃れてきたつもりなのにここでもさっそく雨、しかも「秋の長雨」の気配だ。 林試の森公園。多種類の樹木が密生するこの公園に入ると、思わず深呼吸したくなるくらい空気がかわるのがわ…

晴れ間をぬって

このところの雨つづきを「ノアの日々」と呼んでいた。 休みなく降る雨、東の方角からつぎつぎとながれてくる黒い雨雲、雷鳴、道沿いの側溝を走る水は滝のような音をたてつづけている。 まるで雨季末期の、いちばん天候が悪いころと同じだ。 どういう因果関係…

団扇をつくる

猫の手も借りたいくらいの忙しさが過ぎ、先週からゆるやかな時間がながれている。 こういう時期には、新規デザインものやリクエストはうけていたものの手つかずのままほうっておいた依頼品の制作に時間をあてるのが常だ。 骨の素材には椰子の葉芯を選んだ。…

ウィークエンド・レポート

9月6日(月) 庭師のワヤンにクタパン(トロピカル・アーモンド)の木の先端部分を伐採してくれるように頼んでおいたのは先週だったけど、ようやくその気になったらしく、きょうは梯子をかついで仕事を始めるのを目にした。 伸び放題にしておくよりも、あ…

オダラン

きょうはウチの「オダラン」だった。 祭壇や社に供える前に机のうえにズラリと並べられた供物の数々。 210日にいちどめぐってくる祭祀で、ぼくがこの土地に住みはじめるにあたり選んだ「吉日」を起点に日にちは決まる。 平穏安寧を祈る日、とぼくは心得てい…

『考えるヒント』へ  バリで読む『遠野物語』7

『遠野物語』を読んでいる最中に、奇妙な記憶の混乱にとまどった。 こういう話にさしかかったときである。 ある猟師が山中で白い鹿に出会う。白鹿は神の化身と信じられ、一撃にして斃(たお)さなければ祟りにあう。猟師はじぶんの名誉にかけてこれを射とう…