オダラン

 

 きょうはウチの「オダラン」だった。



祭壇や社に供える前に机のうえにズラリと並べられた供物の数々。



 210日にいちどめぐってくる祭祀で、ぼくがこの土地に住みはじめるにあたり選んだ「吉日」を起点に日にちは決まる。

 
 平穏安寧を祈る日、とぼくは心得ている。


 バリの暦はとてつもなくフクザツで、初めから覚える気を失せてしまうくらいなのだが、30週からなる「ウク」と7週からなる「サプタワラ」の組み合わせで計210日をもって「ひとめぐり」としている。

 けっして「1年」とは数えないところがおもしろい。


「循環する時」をあらわすだけなのだ。



ウチの場合はもっとも質素な規模なので、祭壇もこんなにシンプル。



210日前の2月10日のオダランには病気だったチェリーもいっしょに祭壇にむかっていたのを思い出す。チェリー、元気に やってるかい?


 きょうはウクの「クラウ」であり、かつサプタワラの「ブッダ(水曜日に相当)」が重なる日で「クラウ・ブッダ」といい、この日がウチのオダランの日にあたる。もっとゴチャゴチャ言うと「クラウ・ブッダ・ワゲ」でもあり、ワゲという「パンチャ・ワラ」の5日からなる日めぐりとも重なり....と、もうこれ以上はつき合いきれないフクザツさなのだ。



「おじいさんの樹」にもポレンを巻いてお供えものをささげる。



 いつもはお馴染みのマンクゥが祭司として来てくれるのだが、この4月にプダンダ(高僧)になりまだ儀礼を司るための儀礼をすませていないので─ここらへんも、かなりフクザツ─、きょうはその息子がピンチヒッターとして祭司の役割を果たした。


 だいじょうぶかいナ、とかれの後ろに座りながらマントラを聞いていたが、低く唱える声はよどみなく(といっても、ぼくにはホントのところ内容がわからないのだから、間違いがあったところでわかるはずもない)、滞りなく祭祀は終了した。



新米マンクゥの肩越しに。


「いやあ、2日で暗記したんダ」

 正直にかれが告白したのは、儀礼が終わりいっしょにコーヒーを飲んでいるときだった。


 胸のポケットからマントラの「カンニング・メモ」までとりだして見せてくれたので、みんなで大笑いしてしまった。


 ともかくも210日後のつぎのオダランまで、つつがなく平穏であれといつものように祈ったのである。