帰ってゆく風景 ── 物語のはじまり 『100年前の女の子』を読む 1

 

 100年という人生はひとにどんな記憶を積み重ねていくのだろうか、あるいはいかなる記憶だけが100年の月日の流れのなかから浮かびあがってくるのだろう。


 近親にも周囲にも100年という気の遠くなるような時間を生の歩みとして経てきたひともいないので、それは想像の範囲でしかなかったが、この『100年前の女の子』(船曳由美著 講談社刊)を読んでいるうちに、100年の生にはそれをつらぬく堅固な縦糸があるのだという事実をおぼろげとはいえ理解できた。


 しかも、その100年はひとりの女の子を育みかつ試練を課した時の長さであると同時に、日本社会が経てきた過去1世紀の歴史でもありまた喪失した原風景の記憶でもある。だから本書は、ひとりの女性の人生の記憶から紡ぎだされた彼女自身の「物語」であるとともに、その物語を通して明らかになる喪われた風景へのせつない思いまで読むもののこころに残す。

 
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「これは一人の女の子の物語である。
 女の子の名前はテイ、寺崎テイである。明治四十二年(1909年)八月十日に生まれた。
 テイは平成二十一年(2009年)百歳になった。この100年を生き抜いたのである。」(「はじめに」)


 物語を生きてきたのは「寺崎テイ」さんであり、その物語を綴るのはテイさんの次女、1938(昭和13)年生まれの船曳由美さんである。
 著者は、干支で数えればちょうどひとまわりぼくを超え、テイさんの生まれ年は、26年前に亡くなったぼくの父と1年だけ違う。そうか、父が生きていれば今年100歳になっていたのか、とそれぞれの生年を見比べながらふと思った。


 前書きにあたる「はじめに」のなかでテイさんが米寿(88歳)を過ぎたころから、堰を切ったようにご自身の生い立ちについて語りはじめた、と著者は書いている。


「それまでは重い石で心の奥に封印しているかのように、村のことや幼いときの思い出をけっして話さなかった。」


 長い沈黙は「いま」という時を生ききるのに精一杯であったからなのだろう、結婚後のテイさんの暮らしはけっしてゆとりのあるものではなかった。にもかかわらず、5人の子女を全員大学にまで進ませたのだから、その日々の営みに専念する月日は過去をふりかえり問わず語りに身の上を語る余裕などなかったに違いない。



 あるいは文字どおりみずから封印をほどこしていたのかもしれない。

 ふっと肩のちからがぬけたとき、目の前に壁となって塞がっていた「務め」が霧のようにかき消えたとき、その封印の効力も失せてしまったのだろう。


 鮮明な記憶力は、かたわらで聞いてくれるひとを得てことばとなり、語りとなって物語を紡ぎだした。
 だから著者は「口寄せの女」として、「百年前の高松村に生まれた一人の女の子が、何を感じ、何を学び、いかに生きていったか」をぼくらの前に生き生きと示してくれる。
 くりかえしになるが、同時にこの100年の日本社会の変動の姿もまた、著者の綿密な調査にもとづいて、しかしあからさまではない表現によってもうひとつの縦糸として本書を貫いている。


 個人的に思い浮かんだ印象をくわえると、亡き父や母が折々に語ってくれたかれらの幼かった頃のエピソード、若き時代の思い出話などもまた本書を読みながら耳の底に響く谺のように甦ってきたばかりではなく、父や母が語りきれなかった「物語」もテイさんの物語の隅っこに潜んでいるような気がした。


 そしてぼく自身のこどもの頃、半世紀以上も前の、周辺の人々がひとしく貧しさのなかにあったあの時代の空気の匂いまでもがときどきふわりと漂ってくる思いもしたのである。
(つづく)