団扇をつくる

 


 猫の手も借りたいくらいの忙しさが過ぎ、先週からゆるやかな時間がながれている。


 こういう時期には、新規デザインものやリクエストはうけていたものの手つかずのままほうっておいた依頼品の制作に時間をあてるのが常だ。



骨の素材には椰子の葉芯を選んだ。左から椰子の葉、その芯=リディ。その芯を束ねた「サプ・リディ」が庭掃きほうきとしてここでは日常的につかわれている。


 ゆっくりじっくりモノをつくるかけがえのない時なのである。


 先週土曜につくりはじめた「団扇」を、今朝のうちに完成させた。


 団扇をつくってほしいという依頼はときどきうけていた。でも、いい竹がないからムリ、ムリといっていつも逃げていた。



リディを前面と背面それぞれに20本ずつ束ね、竹の把っ手に入れる。写真はリディを平らに並べ糊付けしている場面。


 日米貿易摩擦が表面化した頃(とつぜん団扇の話題が一気に国際モンダイの話になるが)、ジャパンバッシングがデトロイトの自動車産業界を中心にくりひろげられたことがある。
 トヨタだったか日産だったかの自動車が、ハンマーで叩き壊される過激な写真が新聞などに掲載された。

 つい先日、テキサス州である牧師が「コーラン」を燃やしている写真を見たときに、ごく一般的なアメリカ人の心情というのはこの程度のものなんだろうな、と感じた。
 ともに、いわゆる「ポピュリズム」を象徴する出来ごとだ。



型にそって刺した鋲に骨をひっかけ等間隔にひろげ、「要(かなめ)」にあたる輪に縫いつけていく。


 自動車がハンマーで叩かれるのを黙視していてはまずいと考えた某出版社が、日本にあった。

 日米間の相互文化理解がいまこそ重要で、日本の伝統的な技術、とくに工芸技術のゆたかさとレベルの高さをかのアンクル・サムの国の関係各位へ伝えようという企画であった。

 英語版で全十何巻だったろう、それを版元の創業?年記念として無料で配布するというのだから、当時は豪気な出版社もあるものだと思っていたが、きっと財界のスポンサー付きだったのだろう。



紙を貼る。


 その企画にぼくも駆り出され、おもに東海と四国地方の伝統工芸品の取材にあたった。

 そのうちのひとつが、香川県の「丸亀うちわ」だ。


 いずれの制作者にしても、ぼくとしては無意識のうちにあるいは惜しみなく頭(こうべ)をたれてしまうくらい、知識や知恵や技術の凝縮を体現したひとびとで、一朝一夕でこうした職人さんは生まれないだろうし、かれらのつくる工芸品にしても然りなのである。



完成! 柿渋を塗った紙で把っ手を補強。ところが、実際につかってみると、団扇のしなやかさがない。骨のリディが強靭すぎてあおいでも撓(しな)らないのだ。つかえるけれども、やや欠陥ありと判明。やはり昔から竹が素材として選ばれてきた理由がわかった。


「団扇」のように、ぼくら日本人の日常感覚からすれば、商店街のお中元だの「粗品」のたぐいのおみやげ品として馴染んでしまい、ことあらためて「工芸品」という部類には分類していないのではないだろうか。
 ところが、「たかが団扇」の丸亀の取材でも、たかがどころではない時間の堆積と熟練技術の成果がひとつひとつの団扇に結実されているのを、敬意をもって観察していたわけである。



団扇づくりに再度挑戦のため、当地で「ティイン・タリ」と呼ばれる竹を入手。「紐竹」の名のとおり、紐用に割(さ)いてつかわれる。



 そういう背景があって、「団扇でもつくってヨ」と軽〜くいわれると、良い竹がないというのを表向きの理由に「ムリ、ムリ」と断りつづけてきたのである。



3cm幅の竹が44本に割けることができた。前途は明るい?


 興味がなかったわけではない、だからこんかい、依頼者の有無をいわせぬ熱意と、たまたま当方も受注がパタリと途絶え、ゆっくりできる時間がうまれたところから「団扇づくりに挑戦」となったのだ。