いくつもの風景

 


 田おこしのすんだ翌日は、半日、音もたてずに雨が降っていた。




 農夫の姿のない水田にはココカン(白鷺)だけが歩きまわっている。




 つぎの日には田植えがはじまった。

 二期作、ときには三期作も可能なバリの水田だから、田園地帯を車で走ると、犂起こしをしている田んぼのあちらでは刈り入れが、こちらでは田植えがといくつもの風景が通りすぎていく。


 そんな風景をはじめて見たときには、一瞬あたまが混乱した。やがて、ああこれが二期作なのかと、こどものころに耳にしたことばをあらためて思い出した。



 日本でも大正時代の終わりから昭和のはじめまでは、高知のような南国では二期作がおこなわれていたという話も、古い記憶のなかにある。

 いまでも沖縄では二期作があるらしい。
 渡嘉敷村では二期目の刈り入れがあったと「琉球新報」の7日付け記事が伝えていた。もともと温暖で豊かな土地なのだ。



 きょう、お茶を飲みにはいったプンゴセカンのカフェの前には、もうじき刈り入れを待つ水田が目の前にひろがっていた。


 黄金色に輝く稲穂の波の果ての白い建物に、15年も前に2か月ほど住みながら、稲穂が風になびく光景をやはり飽かず眺めていたのを思い出した。