続々・オレオレ(おみやげ)

 冒頭に書いた「カーゴ・カルト(積荷信仰)」は厳密にいえば、英独仏の植民地下にあったニューギニア、メラネシアで19世紀末から発生、第一次・二次世界大戦間にピークに達し、一部地域では近年までつづいた宗教運動である。
 植民地支配に対する武力的抵抗が挫折したあとに、いわばひとつの「夢」としてこの地域のひとびとの抱くところとなったのがこのカルトである。
「白人と原住民との関係の転倒」「白人の所有する生活財は、本来はじぶんたちのものであった」「近い将来に白人は土地を追われ、じぶんたちの祖先が白人の生活財を満載した船ないし飛行機に乗って帰ってくる」(『現代思想を読む事典』参照)というのが、その「教義」の中心である。
 ことばを換えれば、植民地支配からの解放と生活の豊かさを切望した宗教的幻想とも言えそうだ。


「カーゴ・カルト」は、だから、地域も時代も限定された概念として規定されているのだが、ここではそのエッセンスともいえそうな「外部世界から僥倖がやってくる」、「それは、祖先や神の賜物として受け取られる」という部分だけをとりだして、バリでの経験を考えていきたい。
 強いて言えば、「カーゴ・カルトのようなもののヴァリエーション」として。


 バリでの最初の1年を、パダントゥガルのちいさなバンガロウの一室を借りて過ごした。その名も「ホワイト・ハウス」(!) たんに外壁を真っ白に塗装しただけでこんな大層な名前をつけてしまうのだから恐れ入る。
 1棟4室の広い部屋が庭を挟んで田んぼにむかって建ち、右手にあぜ道を歩けばモンキーフォーレスト通りに出、左にむかえば涼しい渓谷をぬけてハノマン通りに出る、アクセスのなかなかよい場所だった。
 オーナーは地元の人間で、このホワイト・ハウスは英国に住むイギリス人とのジョイントで建てられたもので、「共同経営」ということになっていた。
 土地はオーナーが所有し、建造物はそのイギリス人の資金によってつくられた。利益を折半するという話だったが、ぼくが住んでいる間に早くもこの利益をめぐってのゴタゴタが始まっていた。
「ナルセ、どうだ、オレとジョイントしないか」などとぼくに話かけてきたことがあったが、噴飯ものである。


 共同経営者のイギリス人夫妻が、2週間ほど滞在していたことがある。心配だったのだろう。
 彼らの来訪から間もないある日、渓谷の道を通ってバンガロウに戻ろうとしてびっくりした。上り下りの階段が百段ほどつづき、その階段のところどころに自然石をつかった猿の彫刻が並んでいたのだが、この猿たちの巨大なペニスの部分だけがすべてセメントで塗り固められている! 夕暮れの薄闇に、そこだけが白くボンヤリと浮かんでいるのだ。
 ぼくはスタッフに、なぜあんなことをしたのか文句を言ったら、「猥褻だから隠すようにと、イギリス人の奥さんが命令した」という。
 ヴィクトリア朝時代の亡霊の登場か、とぼくはため息をついた。


 ホワイト・ハウスのオーナーのように、外国人との「ジョイント」によって財をなすひとびとは多い。そういうひとを、周辺のごくふつうのバリ人は「過去のカルマのおかげ」とか「先祖の善行の賜物」などと評している。現実的な才─達者な語学力とか交渉術の巧みさへの賛辞は聞いたことがない。
 こうした「成功者」を目の当たりにすることで、外国人へのまなざしにも独特の「期待」がこめられるのだろうか。


 時はくだってタガスに住んでいた頃のある日、ひとりの青年がぼくを訪ねてきた。2日前に、友人一家が宿泊しているホテルのロビーでたまたま会ったドライバーだった。そのときぼくは名刺をかれから受け取ったが、必要のあるときにこちらから電話すると伝えただけで、こうしてかれがとつぜん訪ねてきたのを不審に思った。あるいは、用があるときに備えあらかじめ場所の確認だけでもしておこうという仕事熱心さのゆえか、とも思った。
 バトゥアン村の出身だそうで、じぶんでも絵を描いている、とかれは言った。
 バリの絵画のなかでも「バトゥアン・スタイル」は独自の画風をもっている。なかでも、バトゥアンの画家のWさんとは親しくしていて、よくかれのアトリエに遊びにいった。Wさんの場合は、バトゥアン・スタイルとは言いきれないオリジナリティが、そのモティーフにも技法にも表れていた。「寓話的エロティシズム」とも言えそうな画風であった。惜しくも、‘99年に亡くなってしまい、その後、ぼくはバトゥアンに行く用事もなくなってしまった。
 Wさんの思い出を語ったあと、このドライバー君は、ぼくの話とは無関係に、考えうるかぎりの率直さでこう言った。
「絵を飾る場所がないので、ギャラリーをつくりたい、ついてはお金を出してほしい」
 前置きも、迂回もなしのズバリのお願い。思考回路がショートしてしまったような結論だけのおねだり─そんなおねだりが叶えられれば、たしかに願ってもない“僥倖”に違いない。なにが、どうなってその”願望”がいきなりぼくに結びつくのか? 外国人だから?
 前回書いたように、このケースでも、関係性が希薄だから(というより皆無なのだが...)大胆に「図々しく」振る舞えるのだろう。
 それにしても、である。


 これは知人の体験。かれらご夫婦はバリでも屈指の豪邸を建てた。ぼくも数度訪ねたことがあるが、内、外ともにまるで美術館のような邸宅である。その自邸建設と同時に、かれらの居住する村の道路を自宅までアスファルト舗装した。
 舗装工事が完了してしばらく経ったある日、村の寺で盛大な儀礼が行われた。かれらは、じぶんのスタッフに「あれは、なんのお祭り?」と聞くと、「道路がきれいに舗装されたのを祝う祭りです」と返事があった。


「ボクにはなんの声もかからないんですよ、ひとことのお礼もないんだから」
 と、かれはぼくにぼやいた。
 儀礼はおそらく神への感謝と道路の安全を願ってのものだろう。この道路周辺の住民にとっては、棚からボタ餅、降ってわいた“僥倖”にはちがいない。しかしその”僥倖”への感謝は、それを為した人間にではなく神に結びつく...。
 これなんかは、かなり「カーゴ・カルト」に近いのではないだろうか?