バリに生まれた「不幸」最終回 Beng Beng のゆくえ

 ──日本人は、犬と話ができるの !?

 ナルセのところで働いているニョマンがそう言ってたヨ、と知り合いのバリ人が教えてくれた。                                                                         
 12年前のことで、当時、バリではじめて犬を飼った頃だ。
 この犬、プートラのことは以前にも書いたが、なかなかガンコなオス犬で、「バリの犬とはこういうものなのか」とかなり手こずらされていた。

 そんな厄介な犬でも、飼うからには声をかけたり、ときには一緒に並んでちょこっと話しかけたりするにしても、ドリトル先生ではないのだから会話までは無理。

「プー、お前、子犬のくせに朝帰りなんかするんじゃない!」

 と、叱りつけたり、すこし成長してからは、

「お前は、どうしてそういうイヤらしい顔して女性を見るの?」

 と、頭を撫でながらたしなめたりしているのを、ニョマンは眺めていたのだろう。
 かれには、ぼくがまるで犬と会話でもしているように映ったのかもしれない。

 
 飼っている犬が子どもを産むと、初めのころは、在住の日本人の知人に頼みこんで引き取ってもらっていた。
 言っては悪いが、バリ人に譲るのは極力避けていた。
 しかし、日本人で、犬を飼ってもいいよというひとがいつでもいるわけではないから、最後の出産のときには、手もとに一匹だけ残してほかの3匹は、スタッフや隣のレストランで働いていた従業員のうち、欲しがっている連中に分けた。

 当時、工房で働いていたコマンもそのひとりで、かれはオスの白い子犬を抱いてペジェンの実家に連れて帰った。

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子犬ではない。チョコレート・ワッフルである...。


「名前はなんてつけた?」

 コマンに尋ねると、

「ベン・ベン! お菓子の Beng Beng!」

 と、かれは笑いながらこたえた。
 スーパーでよく見かける、インドネシア製のチョコレート・ワッフルの名前だ。いかついコマンの柄にもなく、子犬にお菓子の名前をつけるとはかわいらしいもんだ、といっしょに笑った。

 その後、1年もたたないころだったか、工房で仕事をしているとき、ふと思い出してかれに聞いた。

「コマン、ベン・ベンは元気?」

 奇妙にも、かれはうつむいて黙っている。
 そして、別のスタッフが横からニヤニヤしながらこたえた。

「食べちゃった、って」

 コマンを見ると、顔を赤くしているではないか。


 菓子の名前をつけたのは、こいつまさか初めっから食う気でいたのでは? ジョーダンではない! そんな輩(やから)に…と後悔したところで、あとの祭りである。


 バリ人の食文化のひとつに「犬食」があるのは知っていた。それほど日常的ではないはずだが、たしかに、

「オレ、食ったことある」

 と話す人間には、何人も会った。

「食べたあと、からだがすごく熱くなるんだヨ」

「からだから臭いがするんで、犬に吠えられるんだ」

「追いかけられたこともあるよ」

 追いかけられたついでに、噛まれてしまえ! とは思わないし、他国の食文化や食習慣をとやかく言う気はさらさらない。

 しかし、食うか!? じぶんの飼っている犬を? とは思う。

 ぼくには、まったく理解できないかれらの「こころ」のひとつである。


 ベン・ベンが、どんな犬に成長していたのかは知らないが、いや知らなくてよかったと思うのだが、コマンの意識のなかでは、豚やニワトリを飼育するように育てられていたのだろうか。

 やはり、あまり想像する気にはならなかった。


 犬はニンゲンに食われるほど自由だ! とは、だれも思わないし、言わないだろうから。