バリに生まれた「不幸」6 朔太郎の犬

 萩原朔太郎は詩のなかで、たびたびじぶんを「犬」に投影している。


この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、
みすぼらしい、後足でびつこをひいてゐる不具(かたわ)
の犬のかげだ。

………(略)

とほく、ながく、かなしげにおびえながら、
さびしい空の月に向かつて遠白く吠えるふしあはせの
 犬のかげだ。

(「見知らぬ犬」『月に吠える』所収。)

 
 詩人の「影」としての犬が描写され、「見知らぬじぶん」を引きずった姿として、かれ自身を述懐している。


「詩はただ私への『悲しき慰安』にすぎない」(『青猫』序)と書く朔太郎だが、もしかれが、現代日本の犬たちを眺めわたして見たとき、「悲しき慰安」の対象として「犬」を詩にうたっただろうか? 

 
 ゼッタイにあり得ない! だろうと思う。


 そして、もし朔太郎がバリの犬たちを観察したら、果たしてかれは詩のなかで「犬」を自己投影の対象にできただろうか?

 ……。


 ぼくが初めてバリを訪れたのは‘92年だったが、そのときにバリの犬たちがぼくの視界に入っていたかどうかはあやふやだ。
 いずれにしても、風体まさにボロボロの犬たちをその後路上で頻繁に目撃することにはなるのだが、「最初の印象」は記憶にない。



犬猿の仲良し(?)。モンキーフォレストで。2009年


 いまでもはっきりと覚えているのは、‘95年の移住後まもない頃のウブッドのモンキーフォレスト通りで目撃した犬の姿である。


 痩せ細って、全身の毛が皮膚病のせいで抜け落ち、いまにも倒れそうにヨロヨロと道を歩いていた。ときおり、なにかを思い出したようにふと立ち止まる。そして、ふたたび行き先の定かならぬ歩みを二歩、三歩とすすめる。

 ギョッとしたのは、その犬の頭のてっぺんに「穴」があったことだった。
 頭蓋骨は破れ、中まで見える…。
 
 いっしょにいたアメリカ人が、“Volcano…”とつぶやいた。たしかに、火山の火口にも似ていた。

 紅い血は、噴きでる溶岩か。


「犬は病んでゐるの? お母あさん。」
「いいえ子供
犬は飢ゑてゐるのです。」

(「遺傳」『青猫』所収。)


 病んで飢えて、あげくの果てに頭が「火口」のようになってしまった犬を、朔太郎はどんなふうにうたえただろうか。(つづく)