バリに生まれた「不幸」5 モンゴルでも...

 犬の「糞食」についてちょっと調べていて、ああ、そういえばそうだったと思い出したのが、モンゴルの遊牧者たちがかれらの飼っている犬に、人糞を餌として与える話だ。


 あの、移動式住居のゲルに住むひとびとの排泄したものを食べさせることによって、ゲル成員を「認識」させ、それ以外の人間たちに対して警戒心をもたせる、侵入者を防ぐ働きを犬に負わせている、といわれている。

 訪れたことはないが、モンゴルの寒冷で乾いた空気のなかでは、ひとの糞便というのはたちまちのうちに乾燥してしまうのだろうか? 
 まるで“かりん糖”のようになってしまうのだろうか、と想像してみる。むかし流行った「究極の選択」みたいだが、“かりん糖風の人糞”を犬たちは食べているのだろうか。



ゲルとモンゴル犬。写真は「地球紀行」より。


 たしかに、犬はなんでも食べてしまう。


「ナンダ、ナンダ !! この臭いは!? 」

 家にもどってきたウチの犬から、いままで嗅いだことのない異様な悪臭がただよってくる。ぼくは、そばにいた丁稚のMに聞いた。

「ああ、死骸を食べたんですヨ」 

 死骸 !? なんの? まさかニンゲンのじゃあないだろうな?

「蛙ですよ」

 蛙の死骸…。

 蛙にかぎらず鶏や小動物の死骸を食べると、犬はこういう悪臭を周囲にまきちらすのだ、という。


 この臭いをことばにするのはとてもむずかしい。

 肉などのタンパク質が腐った臭いは、まだ、なんというか臭いとしては取りつきようがある。日常生活の中で感知しうる臭いというか、これが腐ってしまえば「ああ、こういう臭いになるナ」と、納得のいくものがある。

 野菜が腐ったところで、臭いはたかが知れている。

 犬が発散させるこの激臭は、「なにかが腐った」臭いとはまた別のカテゴリーに属すのではないか?

 犬がどこかで見つけた得体の知れない死骸、それを腹の中に詰めこんでしまった結果、からだ全体が、濁った廃棄物にでもなったかのようなこの激臭をいいあらわすボキャブラリーは、残念だが、ぼくにはない。


「鼻が曲がる」という言いまわしは、ほんとうはこういう臭いのためにある、のだと思う。

 初めてこの臭いを嗅がされたときには、吐き気をもよおした。即、部屋から犬を追いだした──しかし、悪臭は室内にとどまり、小一時間は鼻についてクラクラしていた。
 ひょっとして、ほんとうに鼻が曲がってしまうんじゃないかと心配したくらいだ。


 モンゴルの犬たちは、いったいどんな臭いを発散させているのだろうか、とふたたび、遥かに遠い草原に暮らす犬たちの様子に想像力をはたらかせる気は、しかしあまり起きない。(つづく)