バリに生まれた「不幸」4 知らなかった...
70年も前の「バリ島の山あいの貧しい農民の共同体」で飼われていた犬だからこそ、かわいそうに人糞を餌にしていたのだろう、ぼくは『バリ島人の性格』に載っていた1枚の写真を見てそう思っていた。
だから、丁稚のダルビッシュがつい最近話してくれた「パセック一族誕生」の民話にでてくる話──犬が、神さまに向かい、
「ヘン、オレが負けたら人間の糞を食って生きてやるぜ! ワンワンッ!」
などと大見得をきった挙げ句、賭けに負けたものだから哀れにも人糞を食べることになった──というのはあくまでも民話の世界、それにつながる古い民俗社会での話だとばかり思っていたのだが…。
村の市場で食べ物を売る女性たちの前にたむろする犬。あばら骨が透けて見えるのがリアルだ。「村の市場」(部分)、イ・トムブロス画 1930年代。"IMAGES of POWER" Hildred Geertz より。
「この民話にでてくる犬のように、人糞を食べる犬をキミは実際に見たことあるの?」
とかれに尋ねてみた。
「しょっちゅうですよ」
「えっ、しょっちゅう!? いったいどこで?」
“しょっちゅう”とは聞き捨てならない。ぼくはバリに15年も住んでいるが、犬がひとの排泄物を食べているのをこの目で一度も見たことがない! というか、見たくもないのだが。
「村ではあたりまえのことですよ」
「野良犬ではなくて、ひとに飼われている犬だよ?」
ぼくは急いで本棚から『バリ島人の性格』を取りだし、かれにモンダイの写真を見せて確かめた。
「こんなふうに?」
「そっ、こんなふうにです」
「いまでも?」
「ふつうですよ〜!」
普通なの?
知らなかった...。
「子どもたちは遊ぶ」(部分)、イ・ニョマン・メジャ画 1980年代(?)。首輪をしているのはまさに現代のバリの犬の姿なのだが、幼児のぷっくりとしたお尻と犬の顔の近接したコンポジションは、潜在的に“ある事実”を伝えてくる──か?。"LIVING TRADITIONS IN BALINESE PAINTING" Alison Taylor より。
10年ほど前に、あるガイドブックにバリの犬を話題にしたコラムを書いたことがある。題して「哀愁漂うバリの犬の話」。
「…犬を飼っている数人の知人に、まず餌の話から尋ねてみた。
『白いご飯におかず』というこたえが全員から返ってきたが、それは犬のためにわざわざ調理されたものではなく、また残飯というわけでもないようだ。
『自分たちが食べる時に、たまたま犬がやって来れば、ひょいと投げて食べさせている』
という。
どうやらおすそ分けといったほうが適切か。特に決まった時間にあげるわけでもなく、また飼い犬がねだりに来なければ『おすそ分け』もない。」
餌は何を与えているかのくだりだが、ぼくの質問のしかたがマズかったのか、かれらは「犬が人糞を食べている」などという事実は、これっぽっちも、それこそ匂わせもしなかった。
ぼくとしても、想像だにしなかったのは当然である。いま書き直すとすれば、多少の修正が必要かもしれない。
もっとも、「バリでは犬は人糞も食べます」という記述が、果たして観光ガイドブックにふさわしいかどうかの判断は別として。(つづく)