バリに生まれた「不幸」3 バユン・グデという土地

 前々回に紹介したベイトソンとミードの『バリ島人の性格』は、1936年から39年にかけてのフィールドワークにもとづいて書かれたものだ。


 写真のなかで「ウンチ」を犬に食べられている幼児は、イ・スプッという名で、生後276日の男児と写真解説にはある。

 イ・スプッさんがご健在ならば、この写真を見て、

「おおぅ、ワシじゃワシじゃよ、これは! いやぁ、マイッタな〜」

 と、懐かしがるかもしれない。


 余談──ベイトソンとミードは気づかなかったのか、あるいはこの写真を掲載した項目「腐食動物、食べ物、そして糞便」のテーマには無関係だったから触れなかったのかもしれないが、イ・スプッちゃんが首にかけているのは、かれ自身の「へその緒」を入れた容器であり、お守りとしての役割を果たすものだ。


日付は1937年4月30日とある。『バリ島人の性格』より。


 上から4枚目の写真を見ると、犬を嫌がって逃げ切ったイ・スプッちゃんをすこし離れたところから、物欲しげに見つめている犬の様子が分かる。

「まだ、あるのに…」

 
 ベイトソンとミードがフィールドワークをおこなった村は、バユン・グデ Bayung Gedeといい、キンタマーニにある。
 当時は「バリ島の山あいの貧しい農民の共同体」であったこの土地も、いまや、バトゥール山と湖を望む景観をもとめて、ツーリストが押し寄せる観光地となっている。沿道には大小のレストランが建ち並んではいるのだが、その一帯を外れると寒々とした民家が軒をつらねている。


バトゥール山を望む。撮影場所はバユン・グデよりもさらに北側。


 ひとびとの雰囲気や身につけている衣服も平野部に住むバリ人とはすこし異なり、とくにその顔つきは冷涼な気候を反映してか、「やや険しい」感じがする。

 そんな印象も、たぶん、ぼくらがこの土地に車で着くやいなや、食べ物に群がる蠅のようにぼくらを取り囲み、押し売りまがいの強引な態度をふるまう地元の物売りたちの、真剣さを超えた凄まじい形相に辟易した経験からくるのかもしれない。

 貧しげな──。
 いかに堂々としたレストランが建ち並んでいようが、この土地とひとびとについて最初に抱いた印象は、いまでも変わらない。

 だから『バリ島人の性格』に載っていた、犬が幼児の尻に接して糞便を食べている写真を初めて見たとき、その「衝撃」とはべつに、「さもありなん」という気もしていたのだ。
 
 犬に餌をあげる余裕もないのだろうな、の「さもありなん」である。まして、70年以上もさかのぼる昔の光景であるのだから。(つづく)