バリに生まれた「不幸」 2 『チベットの七年』から
ハインリヒ・ハラーの『チベットの七年』には、ハラーとかれの相棒のアウフシュナイターにつき従って厳しい「旅」をつづけた犬が登場する。
「かわいそうなのは、私たちの犬であった。飢え死にしそうなのに、けなげにも私たちと歩調を合わせて歩いた。犬の唯一の食物は、私たちの糞であった。夜になると犬は忠実にも私たちの足の上に身を横たえて、暖めてくれた」(福田宏年訳)。
マイナス22度の厳寒のなかで、犬と人間がからだを寄せあって暖めあうこの夜の光景は、石器時代にヒトと犬が出会い、その後少しずつつちかってきた信頼関係に至るまでの、膨大な時間を背景にしてようやく目にすることのできる場面である。
この犬の名前はとうとう最後まで同書には記されていないが、ハラーがラサからやってきた貴族にもらったものだ、とは書かれている。
それにしても、犬がひとの糞便を食べるとは…。
もちろん、犬の好物がひとの糞便というわけではない。
ハラーにつき従った犬だって、まさか、毎日、ご主人の排泄したものしか食わされないとは思いもよらなかったに違いない。
「こんなことなら、ついて来るんじゃなかった…」
腹の中では、クソいまいましい糞便のつまった腹の中ではそう考えていたかもしれない。
かれらの旅は、すでにチベット領内に入っており、時折、人家や農場のそばを通り過ぎることもあった。
「人の住んでいる小屋では必ず、すぐに噛みつく獰猛な犬に出くわす…生まれつき強靭な体格をしていて、ミルクや仔牛の生肉などの通常の餌を食べてますます力を蓄え…」
そうなのだ、ハラーの犬だって、もとの飼い主だった貴族のもとにいたら仔牛の生肉を食べていられたのだ。ミルクだって飲めたのだ。
人間のそばにいるのは好きだ、でも、毎日毎日これでは──と、そう思っていたはずである。
思わないはずはない。
ハラーがチベットで二度目の大晦日を過ごした地は、いまだラサに到達しない中継地点のニャツァンであった。
幸運にもかれらは、ここからつぎの中継点まで高位の役人のキャラバンに加わって旅をつづけられることになった。
疲れ果てているかれらには、さらにきつい徒歩20キロの旅ではあったが安全にはかえられない。
だが、かれらの犬は?
「私は犬を呼んで、口笛でせきたてたが、犬は物憂げに尻尾を振るだけで、動こうとしなかった。犬には無理だったのである。肢は傷だらけで、今にも餓死せんばかりである」
けっきょく、苦難の旅をともにしてきた犬はここに残ることを選択し、ハラーもまた犬を「とにかく人の住んでいるところに残した」のはせめてもの救いと考えたのであった。
よく「犬はひとにつく。ネコは家につく」といわれるが、このハラーの犬の場合には、そんな「常識」を見事にくつがえす行動にでたわけである。
いくらなんでも餌が糞だけでは、常識だって通用しないだろう。
さて、つぎはバリの「不幸な」犬の話にもどろう。