温かい気持 1  閉じていく思い出のそのなかに 8

 

 黒澤明監督の遺作となった『まあだだよ』(‘93年)は、随筆家・内田百間(門がまえに月)をモデルとして、師弟の絆を描いた「アットホーム」な映画だった。

 だいぶ前に観た映画なので、細部にわたって記憶しているわけではないが、全体の印象としては起伏のすくない、クロサワの名前からすればかなり拍子抜けしてしまう出来だったと思う。
 モデルとなった内田百間についてある程度の予備知識がないと、映画で描かれたような師弟の絆に共感をおぼえ、感動するのはむずかしそうだ。

 しかし、制作者の「思い」のようなものは随所に見いだされるタイプの映画だとは思うし、その「思い」はひたすら師弟の、もっと一般化して言ってよければ「人と人とのこころの絆」を描くことにあったのではないだろうか。

 
 映画では、百間先生の飼い猫「ノラ」失踪のエピソードが原作にそってかなり丁寧に描写されていたと記憶している。
「原作」とは、内田百間の随筆『ノラや』である。


 自宅の庭で野良猫の産んだ子猫が、その人なつっこさからやがて百間先生のお宅の飼い猫となる。だから名前も「ノラ」なのだが、このノラに対する作者とかれの奥さんの愛情は、一子をすでに喪い、老いのはじまった夫婦にとっては遅くして恵まれた子宝を慈しむように深められ、かれらの日常の関心のほとんどを占めていく。


「ノラが大分大きくなつて、私と家内と二人きりの無人の家にすつかり溶け込み、小さな家族の一員になつた様である。顔つきや、特に目もとが可愛く、又利口な猫で人の云ふことをよく聞き分けた。いつも家内のそばにゐるので、家内は可愛がつてしよつちゆう抱いてゐた。私がこつちにゐる時、お勝手で何か云つてゐる様だから、声をかけて、だれか来てゐるのかと聞くと、ノラと話をしてゐるところだと云ふ。
『いい子だ、いい子だ、ノラちやんは』
 少し節をつけてそんな事を云ひながら、お勝手から廊下の方を歩き廻り、間境(まざかい)の襖を開けて『はい、今日は』と云ひながら猫の顔を私のほうへ向ける。」



初版1957(昭和32)年。文庫本の下でのうのうと眠っているのは、やはり野良猫がウチの物置小屋で出産し、その後、置き去りにしていかれたナナとマリの兄妹。飼いはじめてすでに3年になる。


 老夫婦のこんなやりとりを、あたかも「子は鎹(かすがい)」の譬えをありふれた日常のひとコマとして映しだしたかのような、温かい光景としてうけとるか、あるいは、「たかが猫ごときにうつつをぬかしてアホくさい」と一笑に付してしまうかは、読む人それぞれなのだろう。


 百間の随筆を好んで読む者に、あきれてしまう人間はたぶんいない。


 これが、ごくふつうの見知った人間の「ウチのネコちゃんって、こんなふうなのヨォ、もう可愛くて可愛くて目のなかに入れても痛くないわー」なんていう話題として聞かされてみれば、たぶんおおかたの人間は内心、ヘソが茶をわかすわいと聞き流してしまうのかもしれない。

 それもまた、ごくふつうの反応だと思う。


 情愛というものは、当事者以外にはなかなか感応しないものだ。まして飼い猫や飼い犬に対する情愛となれば、なおさらである。


 百間夫妻の「溺愛」はつづく。

「食べ物は、初めの内は私共の食べ残しを何でも食べてゐたが、一昨年の晩秋、まだ極く子供の時に風を引いて元気がなくなり、私共が心配した。… 家内が可哀想がつて抱きづめにした。バタと玉子とコンビーフを混ぜて捏ね合はせた物を造って食べさしたら、なんにも食べなかつたのにそれはよく食べた。」


 さらに煮魚は薄味にし、煮たものよりも生のほうがよいとひとから聞けば「小あぢの筒切り」を生のまま与え、オランダチーズを細かく削ってご飯に混ぜたり、「その内に御飯はあまり食べたがらなくなつた様だから止め」、小鯵の筒切りと牛乳だけにした。


 牛乳も「一合十五円の普通の牛乳では気に入らない。どうかすると横を向いてしまふ。二十一円のグワンジイ牛乳ならいつもよろこんで飲む。」


「カステラや牛乳の残りでこしらへたプリン」「鮨屋の握りの玉子焼き」etc.


 こうして並べたノラのお惣菜メニューは、悔しいかな悲しいかな、ぼくのふだんの食生活と比べても、まばゆいほどに遥か上をいっている。
 猫と張り合う気は毛頭ないのだが...。


「三月二十八日木曜日
 半晴半曇夕ストーヴをつける。夕方から雨となり夜は大雨。
 ノラが昨日の午過ぎから帰らない。一晩戻らなかつたことはあるが、翌朝は帰つて来た。今日は午後になつても帰らない。ノラの事が非常に気に掛かり、もう帰らぬのではないかと思つて、可哀想で一日ぢゆう涙止まらず。」


「ノラ喪失記」とでもいうべき、百間先生の日記の始まりである。(つづく)