明日は休む!
「日曜返上」を書いたのが6月23日で、曜日に関係なく毎日を過ごすとどうなるだろう? じぶんのからだにどんな変化が起きるだろう? などと口走ったが、いやはや疲れた〜!
たしかに連続した曜日感覚はほとんどなくなる。それでも、ひととの約束などがあるから「きょうは火曜か」などと、まだら状に気づいたりはする。
それはそれでまったく不都合はないのだが、メリハリというものがない。
この40日間、何日休みをとったのかぜんぜん覚えていない。
1日だけ風邪気味で休んだのは確かだ。
そんなことを考えながら、かなりの疲れを自覚した今朝は、ミーティングで「明日は休もうヨ」とスタッフに告げたのだ。
そんな “大決断” をしたのも、スミニャックの現場での施工が昨日で99%終了したおかげもある。
作業中に、偶然日本から来ていた知人の建築関係者が数人訪ねてきた。
「おおっ!」
と全員が声をあげ、紙で覆いつくされた空間をみわたしている。
でしょう? やっぱり「おおっ!」でしょう? と、かれらの驚く顔をぼくはニコニコと眺めていた。
オープンしたらあらためて写真におさめたいが、プロジェクトはオーナーからインテリアデザイナーまで、滅多にない「幸運な」とりあわせを得た結果、このショップはたぶん将来にわたって雑誌の取材対象になること間違いないだろう。
*
きょうは午後から、ジャカルタのデザイン専攻の大学生たちの工房見学会があった。
あらかじめ知らされていた彼らのスタディ・ツアーのプログラムでは、4日に予定されていたのだが、当日、約束の時間になっても一行は来やしない。まさかと思いつつ、引率しているはずの教授の携帯に電話をすると、
「明日にした〜」
と暢気な声が返ってきて、わが耳を疑った。
「明日にした〜」とは何ごとか! こちらは時間をさいて待機していたのに。
これだから、ヤなのだ、インドネ...は!
急遽、車を手配し、スタッフともどもスミニャックの現場に馳せたのであった。
その後、一転二転と変更があり、けっきょく本日のご来訪となったわけである。
きょうの学生たちは、反応がなかなかよかった。「明日にした〜」と言った教授はヨンキィさんというのだが、じつはかれは大の日本びいきで、ときどき電話で日本の古い時代の民芸などについて思うところを語り、ますます日本びいきになっていく様子をみせる。にもかかわらず、「明日にした〜」というところが「らしい」といえば言える。
*
月初めの1日には、日本の大学生14人のフィールド・スタディのためのワークショップをおこなった。
3つのグループに分けて、それぞれの作業を開始。写真は、バナナの幹を工房スタッフといっしょに切りはじめている場面。ほかのグループは、煮あがった材料を洗浄したり、ビーティング(繊維を叩く)作業にたずさわっていた。
ビーティングの作業には、機械以外にご覧のように臼と杵も用意しておいた。これは、ぼくが趣味としてバナナペーパーをつくりはじめた‘98年ごろに使っていたものだ。洗ったあとの繊維のかたまりをほぐし、柔らかくするのが目的。
こんな若い世代の日本人をまとめて目の当たりにするのは、ここではほとんどない。
ぼくにとってはかれらは「宇宙人」であり、かれらにとってぼくは「浦島太郎」なのだろうナと考えていたのだが、いやいや彼らは十分に闊達で好奇心に満ちた若者たちだった。
宇宙人と浦島にも接点はありうるのだ、と予期せぬ発見をした。
だから、ぼくもスタッフも思いがけない楽しい一日を過ごすことができた。
ただひとつ、やはり、というべきか彼らの「手」の、とくに指の動きの鈍さは気になった。数人の例外をのぞくと、手指の動きのぎこちなさは幼いこどものように滑らかさを欠いている。
バリ人の手指の動きのあざやかさと比較したら、未熟なのはいなめない。
もちろん、それは彼らの責任でもなんでもない。彼らが好んでそうなったわけでもない。ヨンキィ教授が絶賛する日本の民芸の豊かな世界が、いまや過去のものとなった証(あかし)でもあるということだ。
最後に、ひとりひとりきょうの感想を述べてもらってワークショップを締めたのだが、そのなかでひとりの学生が語ったことばが印象的だった。
「じぶんたちがふだん暮らしている世界とは、まったく違う新鮮なものに触れることができた。もちろん、こういう世界に私たちは戻れないのだけれど...」
かれらは、分かっているのである。
*
ともかくハードで密度の高い1週間を過ごしたのだから、一日ぐらいは休みたいヨ、とからだが言っている。
だから、明日は休むのである。