初なりは...

 
 去年11月8日のブログ「パッションフルーツ」に、庭に植えたパッションフルーツがようやく花をつけはじめた話を書いた。


 その2週間後には青々とした実が鈴なりになっている写真ものせている。

 初なりは、3月に死んでしまったチェリーの遺影に供えようと、句まで詠んだのだ。


 先日、日本からもどってくるときにもパッションフルーツがどのくらい色づいているかが楽しみだった。

 ひょっとしてもう十分熟していて、スタッフたちが好き勝手に食べちゃっているんじゃないか、そんなことされたら「初なりは...」の句だって台無しになる、ジョーダンじゃないと、いろいろ心配しながらもどってきた。


 帰ってきてさっそくチェックしたら、果皮はわずかに赤く色づいただけで、熟すにはまだ時間がかかるのにややがっかりしたけど、とりあえず誰の胃袋にもおさまっていなかったのでホッとした。


 毎朝、果皮の色づきをみながら「収穫」の時を待っていた。


 そして今日、ようやくその時がきた。


 チェリーの10か月の命日にあたる。



 夕方、供えた果実のひとつを割って、チェリーの介護を最後までいっしょに手伝ってくれた丁稚のダルビッシュと分けあった。


 果汁の甘酸っぱさは、いまも口のなかに残っている。