親切なおまわりさん
バリにもどってきて最初にしなければならない手続きが地元警察への「来訪届け」だ。規則では、「到着後24時間以内に」となっているらしい。
この届け出を怠ると500万ルピアの罰金を科せられる。いまのレートでは5万円ぐらいになる。
以前、州警察への届け出をすませているにもかかわらずウブッドにある警察署から私服の警官がふたりやってきて「いちゃもん」をつけられたことがあった。
入国スタンプを押したパスポートやビザ関係の書類、州警察への届け出の証明書をテーブルに並べても、まだグズグズしている。
「地元の警察に届けるのが原則だ...」
の一点張り。
そう思ってるのはキミだけだよ! とも言いきれないのは、法律や規則がころころと変わる所では昨日の常識はきょうのヒジョーシキになりかねない。
かれらが正しいのかもしれないし間違っているのかもしれないのだが、こういう場面でなにが正しいのかなどという話に結着がつくわけでもない。
こんなふうに警察官が家にやってくること自体、じつは大方の目的はほかにあるわけで、
(ああ、うっとうしいなぁ)
としかぼくには思えないのだ。
彼らにぼくの身元保証人の連絡先をつたえ、あとはそちらとやりとりしてもらうことにしてお引き取り願ったのは、いつまでもラチの明かない話をしていたくなかったからだ。
彼らは彼らで、署にもどってから上司と相談するなどと、「威圧」をかけながら帰っていった。
翌日、保証人になっているNさんから電話があった。
「なんでも、警察署のコンピュータが壊れたので新しいのが必要だ、って言ってるヨ」
え〜っ! 誰が壊したんだ? ぼくか ?!
それにしても、署内の備品が壊れたなんて話で攻めてくるとは予想もしていなかった。新しいコンピュータだったら正規の課徴金よりはるかに高くつくじゃないか。
なに考えてんだ...。
「コンピュータなんか買ってあげられるわけないよ。ひとりン万ルピアずつということで、彼らにそう言ってくれないかな」
「うん、わかった」
*
かくしてこの一件以来、州警察への届け出とはべつに、一時帰国からもどるたびに地元警察への届け出も欠かさずするようになったのだ。
だから、帰バリの翌日8日にはウブッドの警察署まで出かけた。
そこで見かけたのがこのポスター。
だいぶ色褪せてしまったのはもう4年も前のものだから。かなり物持ちがいいのだ。
コンピュータは壊れても、ポスターは破れもせずにしっかりと壁に貼りついている。
<頭がついてるあいだは大切に>
このコピーは笑える。
「ボクね、ヘルメットの留め具はしっかり締めなきゃダメでしょ?」
お姉さん警官が親切にも手を貸してくれている。お兄さん警官までまるで慈父のようなまなざしでバイク少年を見守っているではないか。
「そうだよ、頭が肝心なんだヨ」
ふたりのおまわりさんの余裕ある微笑みにくらべ、バイク少年はなんだか気後れした表情でいる。からだをお姉さん警官からよけるようにわずかに傾け、口元のゆるみ具合だってぎごちない。
「罰金かなぁ...」と、こころの呟きまで洩れてくるように見える。
「なんだなんだ、この親切ぶりは...」と、怪しんでいるようにも見える。
(わかる、わかる。ちょっと薄気味悪いよね。)
そんなモーソーをめぐらせているところへ、横から顔見知りの警官 WB さんが声をかけてきた。例のコンピュータ関係とはべつの警官だ。
「いやあ、久しぶり〜!」
ご無沙汰しているほうが気分がいい、というタイプのひともいる。
*
かれとの出会いはずいぶん古い。「出会い」というより、押しかけられたといったほうが正確か。
最初の出会いからしばらくして、ぼくがバイクの免許をとろうとしていたときに「手伝おうか?』と申し出られたのでお願いした。県警察に顔がきくような口ぶりだったので、長々と待たされることもなく免許を取得できるだろうと、ぼくもズルいことを考えたのだ。
ところが、実際には「顔がきく」どころではないのが判明。
ギアニャール警察では延々と待たされ、WBさんはあっちこっち動きまわってはいるのだがその労の割には効果は乏しかった。
(なあんだ、これじゃ普通に手続きするのとそう変わらないじゃないか)
いちおう免許は取れたものの、待ち時間の長さに疲労困憊して帰ってきた。
またあるときには、ぼくの工房にわざわざやってくるとスタッフに、
「ウチにバナナの木がたくさんあるから穫りにくるといいよ」
と告げて帰っていった。
数日後、スタッフたちは小型トラックでWBさんの住むペジェンまでくりだした。
ところが、手ぶらで帰ってきたかれらの話では、バナナなんて1本も生えていない! とんでもないホラ吹きだ、アイツは! ということになってしまったのである。
それ以来、かれが訪ねてくることもなくなったのだが、この日、ぐうぜん警察署で久しぶりに顔をあわせたのだった。
*
「きょうはなに?」
「来訪届けですよ」
「手伝おうか?」
あ、またきた。
ポスターのバイク少年と同じようにたぶんぼくの表情も一瞬引けていたにちがいない。
「いや、だいじょうぶ、だいじょうぶ。じぶんでできるから」
WB さんとは握手をかわしただけで、ぼくはひとりで来訪届け受付の部屋にむかった。