古い殻は脱ぎすてて
庭の掃除をしていると、ほとんど毎日のようにセミの抜け殻をみつける。
たいがいは棕櫚の葉にくっついているのだけれど、背中をまるめ食いしばるように脚をくいこませているところをみると、脱皮の最中に葉のうえからポロリと落ちないようにと、セミも必死だったのだろうと思う。
乾いた殻をつまみとるとき、葉に食いこんだ爪(?)の先っぽがピチッと音をたてて抜ける。色味やひかりの透けぐあいといい、カサカサした感触といいそら豆のフライの殻に似ている。
たまたま、その脱皮の現場を目撃したことがある。ちょうど脱け終わったときで、成虫は殻からすっかり出ていたけれど、置き去っていくものにちょっと未練を残すような雰囲気で、からだのごく一部が殻にくっついていた。
さあ、飛ぶゾ! と勢いこむわけではなく、じっと葉っぱのうえに屈んだまま動こうともしなかった。
お疲れさん! と声をかけた。
もういなくなったかなと、1時間ぐらいしてからもどって見ると、セミは棕櫚の葉のうえでまだ休んでいた。
そうか、セミも「バリ時間」なんだ。
*
ある朝、ポトスの葉のうえに白いセロファンのようなものがあるのに気づいた。
台所から外にでて近づいて見たら、バッタの抜け殻だった。透き通った殻に皮膚の紋がくっきりと残っていて、いやあ、きれいだなあ、と感心した。もっと感心したのは、脚のギザギザやか細い触覚までそのまんま残っていたこと。
バッタ自身は、この殻から脱け出したあと、じぶんとウリふたつの姿を目の前に眺めてどう思うのだろうと、ちょっと不思議な感じがした。
幽体離脱した「魂」が、横たわって動かないじぶんの姿を目撃するようなものだろうか?
夜になり、パソコンにむかっていると開け放した窓からとつぜんバッタが飛んできた。
いきなりパソコンに着地したのでびっくりしたが、それ以上に驚いたのは、その日の朝に手にして机のうえに置いておいた抜け殻の、その中身がやって来たからだった!
こんな偶然ってあるのかと、感動のあまり丁稚のダルビッシュを急いで呼んだ。
「ほら、ほら、見てみぃ、コレ!」
パソコンに居座っているバッタに近づけて抜け殻を見せた。朝の一件を話して、これが殻で、こっちがその中身なんだよとみずみずしい緑の昆虫を指し、この信じられないような偶然を説明しているのに、なにがおかしいんだか嬉しいんだか彼はニヤニヤしているだけ。
なにか言えよお、と思うのだが、終始ニヤニヤしてるだけ。
そうだった、バリの人にはこういう感激はないんだっけと、あらためて思い直した。
*
そしてさらに、翌朝のこと。
それにしても、つぎからつぎへと抜け殻が目の前にあらわれ出てくるものだと感心してしまうのだが、こんどは...。
←床に落ちていた。
まるで顔パック。
バリに住むひとなら、これがいったいなんの生きものの抜け殻か分かるだろう。胴体や尻尾の方はどこにいってしまったのか? 猫か犬がくわえてどこかに持ち去ってしまったのかもしれない。
それとも、顔の脱皮をすませると気分一新、場所替えしてほかで脱皮したのか?
ポロッと、これだけが床にあった。
愉快そうに笑ってる。
ティッシュペーパーに包んで、大事に財布にしまった。
これを見せた周囲のバリ人はみんな「初めて見た!」と驚いていた。
口をそろえて「将来、金運があるヨ」と言った。
考えてることは同じなんだ...。
*
そして、今朝──植え込みのジュルック・ニピス(ピンポンよりひとまわり小さい柑橘)の葉にアゲハの幼虫が何匹もいたが、そろって脱皮の姿を見せていた。
齢期がそれぞれ違うせいか、小さくてまだ黒ずんだものもいれば、それよりも大きい緑色の幼虫もいた。いちばん大きいのは最終齢にきているし、すでに蝶となって羽ばたいたのもいるようだ。
写真は、おそらく最終齢にある幼虫(左)と葉にひっかかったさなぎ。すでに飛び立ったものの痕跡がいくつかあった。
明日は、蝶になる姿を目にすることができるだろうかと、わくわくしてきた。