籠を灯す

 ロンボク島産のエビ笊に偶然出会えたのは僥倖といってもいい。あれ以来、二度と目にする機会はない。
 一方、昔ながらのバリの生活用具のなかには魅力的なものもわずかに残っている。その代表的な民具が、闘鶏用の鶏を持ち運ぶ籠ではないだろうか。
 バリでは、寺院祭礼の直前に「タブラー」と呼ばれる闘鶏がおこなわれる。あらかじめ選ばれた六羽の雄鶏が、二羽ずつ交互に死闘をかさねる。この闘いで流される血を器に集め、地の精霊ブタ・カラに奉納するのだ。
 寺院内でおこなわれるこの純粋に儀礼的な闘鶏とは別に、あるいは儀礼にかこつけてというべきか、娯楽としての闘鶏がやはり祭礼の前によくおこなわれる。一般にはこちらの闘鶏のほうが、バリの「風物詩」としてぼくらの目に触れる機会が多い。これは金を賭けて勝ち負けを競うから賭博でもある。


闘鶏用の籠とチェリー。この犬は以前住んでいたところで近所の鶏を襲ったため、空気銃をもった隣人に追いかけられるハメに。いまはそういうことはしない。
 この籠を観察していると、さまざまなことが思い浮かんできて楽しくなる。
まず形状からして巨大なガマ口のようではないか。バリの賭博好きの男たちが50%の勝率に賭け、狂ったようなかけ声をかけながら熱いまなざしを注ぐ、その対象である闘鶏を入れる籠として、これ以上ふさわしいデザインもないだろう。ほんの数分で、ときには一瞬で決まってしまう勝負で全財産を失ったり、あるいは笑いがとまらない人間たちが交差する闘鶏のシンボルのひとつとして、このかたちは皮肉なくらいにぴったりだ。

籠を利用して「花瓶カバー」にしてみた。

 素材は、竹とココヤシの枝のつけ根に巻きついている繊維組織タピスだけである。“タピス”とはバリ語だが、植物学でこの組織をなんと呼ぶのか調査不足、というより怠慢のためいまだ不明。花にとっての顎の関係と同じで、枝のつけ根にあってタテ糸層とヨコ糸層で構成される表裏二層のシート状の強靭な繊維組織によって枝を支えている。
 このタピスが、籠の上部ほぼ半分にわたって細く裂いた竹皮で縫いつけられている。
 開口部は、六つ目編みの縁辺を三本の竹でしっかりとカーブをつけてくくりつけられている。
「ここが肝心やで」
「鶏の尾羽、傷つけたらあきまへんしなあ」
「どないや、鶏の調子は?」
「ワテのでっか、まあボチボチでんな」
「そやそや、ソコ、もっと曲がらへんか」
「あっ、あきまへん、折れてもた〜」
「ゴブロック(あほ)!」
 とかなんとかいいながら、かつて目撃した一番勝負の数々や、与太ばなしを交わしてはワイワイガヤガヤとつくっているのだろう。
 身の回りにあるありふれた素材を利用し、用途と機能性がシンプルなかたちに見事に結晶しているこの籠を見ていると、つくるひとが使うひとときっと同じ経験のうえに立っているに違いないと感じる。生活に即した民具がいまでも生きている例である。

明かりを灯すとこんな雰囲気になる。花はパッション・フラワー。2003年