木を植えるひとたち、そして鳥

 友人に誘われて、バリ北東部にあるバトゥール山のカルデラ地帯でおこなわれた植林活動に参加した。バトゥール山は標高1717mの活火山で、1917年と1926年に噴火している。内輪山周辺のカルデラ地帯は写真のように火山岩がゴロゴロと横たわり、緑の少ない乾ききった風景が広がる。
 コバルビアスの『バリ島』によると、1917年の噴火では全島で65,000戸の家が被害にあい、1,372人の命が奪われたという。ところが26年の噴火で犠牲になったのはたったひとり。「老女が腰を抜かして死んだのだった」とある。腰を抜かさなくとも、すでに「お迎え」の近かったひとだったんではないかとも思うのだが、犠牲者数の差はそのまま噴火規模の差をあらわすわけではないようで、このときも溶岩流は発生し前回の噴火で破壊をまぬがれた寺院を呑みこんでしまった。
 コバルビアスがこれを書いた当時、30年代初めバトゥールは、噴煙を吐き溶岩の下層はまだ冷えていなかったので、割れ目に沁みこんだ雨はたちまち蒸気となって立ちのぼっていたそうだ。しかし今日のバトゥールはおだやかだった。
 植林活動は、日本のNPO組織、アジア植林友好協会、バリ森林保全協会、そしてバリ在住日本人有志による「バリの緑を守る会」が中心になってオーガナイズした。参加者総数は、主催者の報告によると300人余りだそうだが、大半は地元の高校生だった。参加した在住日本人はたぶん全体の3分の1近くに達していたのではないだろうか。
 前回の植林のときに植えられた苗はスクスクと、というにははばかりがあるが、この乾いて痩せた土地でけなげに生長していた。植林された苗の全部が無事でないのは一目瞭然で、周囲にはすでに成木になったにもかかわらず立ち枯れてしまった木も目立った。あまりにも乾燥しているのだ。
 日本から見えている主催者の方と少し立ち話をする機会があった。これだけ痩せた土地でなんとか苗を生かす方法についてであったが、後日、苗木の周辺にマメ科のメドハギやシロクローバを植えて土に栄養を与えると同時に、土の乾燥を防ぐのだという。そして、さらにうかがった話がじつに感動的であった。苗木とはべつに、穀類植物を植える計画があるという。それらが生長して実をならせる頃には、その実をもとめて鳥たちがやってくる。そして、その鳥たちがこの周辺でフンを落としていく。そのフンのなかには、木の実が含まれているから、そこから新たに芽が生え、やがて生長して植林と同じ効果を発揮するという、自然循環による植林効果の話である。
 この話をうかがっていて、ああ、確かにそのとおりだと納得したのは、ぼくの家の庭で植えてもいない木がいつのまにか日陰をつくるほどに大きくなっていたり、ベニノキの枝からまったく違う種類の木が生えだしたりするのを見ていて、初めはなにごとかと驚いた経験があるからだ。これはみんな、庭にやってくる鳥たちのフンがもたらしたもの。いわば、鳥が木を植えているのだ。
 植林はとどこおりなくすんだ。2000本の苗木を300人の手によって植え、水をやり、すこやかに育てと願いをこめて。
 解散後、何人かのひととともにトヤ・ブンカーの温泉に寄った。バトゥール湖を見下ろす傾斜地に新しくつくられた温泉で、湯温が高くないのがぼくにはありがたい。
上からマンゴ、マンゴスティン、タマリロ、マルキッサ
 炎天下でほてったからだに心地よく、疲れがゆっくりとからだから脱けていくのがわかる。
 ウブッドへの帰路、沿道にくだものをうず高く積んだ店に寄った。いまの季節は、こんなにくだものが豊富だったかとあらためて感心させられるような色彩の豊かさ! きょうは、タマリロとマルキッサ(パッション・フルーツ)を買って帰ろう。あいかわらず、市価の倍以上の値段をふっかけられて気分が悪くなりかけたが、まあ、きょうはいいや。自然の恵みを、素直にいただこう。
 そうだ、食べおわってから、種を庭にまいてみよう。芽が出たら、たいせつに育ててじぶんの手で自然の恵みを収穫してみよう、そう思った。