月とトランス

 今夜は満月だ。
 最近読んだ小説『終(つい)の住処』(磯崎憲一郎)に「空を見るといつでも満月がかかっている」というニュアンスの一節があった。来る夜も来る夜も、見上げる空には満月がのぞいている、というのだ。村上春樹『1Q84』でも月は重要なメタファーとして働いていて、主人公の青豆と天吾の目には、ふたつの月がいつも空にかかって見えていた。
 両著とも、マジック・リアリズムの手法をつかい奇妙な月をうまく描いている。
 バリでは月は、いまのところ天体の運行法則に忠実にしたがい、ごくあたりまえの姿で順調に動いている。
 ところがメチャ明るい。月明かりの下で本が読めるほど明るいのだ。これには驚く。近視・乱視・遠視と三拍子そろって出来の悪いぼくの眼にさえ、月は惜しみなく光を注いでくれる。
 遅ればせながら最近知ったのだが、月と地球が誕生した当時、両者の距離は現在の約30分の1しかなかったという観測事実は、もっとぼくを驚かせる。かんたんにいえば、月の大きさはいまぼくらが目にしている大きさの400倍もあったのだ! 
ひょっとしてこんな感じだったのかもしれない。

 これは2007年8月27日の満月の夜に、ジェゴグのスアール・アグンとコラボレーションしたおり、パンフレット用に友人Sにつくってもらったベース画像だ。 
 このときのパフォーマンスでは、演奏が余すところ10分くらいの白熱した場面で、エキサイトした演奏者がつぎつぎとトランス状態におちいり、ギエッとかギャアとか悲鳴をあげながら楽器の前でバタバタと倒れるというハプニングがあった。観客のなかには、これをパフォーマンスの一環と勘違いして「ありゃ、やり過ぎだよ〜」とこき下ろしたのもいたが、これは演出でもなんでもない。正真正銘のトランス現象だったのだ。
 終演後、トランスから覚めた数人の演奏者にそのときの様子をたずねてみた。
「いやあ、月からものすごいパワーが、あそこの、ホレ、あそこにある大木に降りて、あの木からドーンとやって来たんだ」
 大木というのは、この周辺の人々から聖なる木として敬われている名称不明の樹木で、ぼくはひそかに「おじいさんの木」と呼んでいる。
 またバリ語ではトランスを「クラウハン」というが、これは「来る」の受動形。なぜ自動詞が受動態をつくるのかわからないが、その非文法的なわからなさが、かれらバリの人々が容易にトランスに陥る不思議さをもあらわしてはいないか?

 
 そういえば『美しいをさがす旅にでよう』(田中真知著、白水社刊)に、こんな描写がある。
 著者がバリに滞在していたときに、集団トランスが起きることで有名なある寺院の儀礼に参加した。境内に集まった地元の人々とともに、著者も境内で儀礼の進行を待っていた。境内にはさっきからガムランの響きが絶えず聞こえている。儀礼には欠かせない聖獣バロンも炎天下の境内にあり、その装飾のちいさな鏡のきらめきが著者の知覚を刺激する。やがて音と光がシンクロし、「ひとつの流動体として」ふだんとは別の様相をもって著者に迫ってくるように感じられる。
「それは美しいとか、うっとりするというのともちがう。音や光が、ふだんとくらべものにならないくらい、ダイレクトに感情に突き刺さってくる。音、光、匂いなどの感覚刺激が絶妙に組み合わされると、自己意識を成り立たせている結び目とは、こんなにかんたんにほどけてゆくものなのか」
 と思っている矢先、「ざわざわとした感覚」が著者のからだに這い上がってくるのを感じた。
 ほうっておけば確実にトランスに入ったものを、著者はここでマズイ! と自意識をとりもどしてしまった。ああ、残念! 著者は、深呼吸をくりかえしミネラルウォーターを飲んで気を落ち着かせ、千載一遇のチャンスから脱出してしまったのだ。さっきまでの感覚は遠のいて「お帰りになった」という感じだった、と結ばれている。
 
 話を月にもどす。月の光は、ときどき不思議な現象を見せてくれる。
 ある晩、庭のバレ・ブゴン(あずま屋)でぼんやりとしていた。ちょうど十七夜の月が昇りはじめた時間だから午後7時過ぎだったろう。目の前には、バナナが十数本植わっていて、月の光はバナナの葉影からうすく差しこんでいた。その光景が視界にただあるというだけで、なにかを意識的に見ようとしていたわけではない。夜空、それを背景に数百枚のバナナの葉がスカイラインをつくり、その向こう側、東の空に昇りはじめた月がほぼ平行に光を射している、ただそれだけの光景だった。

 しかし、ハッと気づくと、バナナの葉のふち、スカイラインをつくる葉の外周がキラキラ、チカチカと輝いている。外周だけではない、幹の一部や手前からスクッと空に伸びた葉群れのふちもチラチラ、キラキラと輝いている! 夜露がおりるにはまだまだ時間は早い、葉が濡れているわけではない。靄(もや)のように大気にひろがる月の淡い光を背景に、葉の周縁がチカチカ、キラキラと点滅しながら光っているのだ。
 しばらく呆然と眺めていた。なんだろう、これは? まるで何万という数の海の夜光虫が月の光に吸いよせられさまよったあげくに、海からはるか離れたこの土地のバナナの葉にたどりついたとでもいうような、なんとも説明しようのない現象が目の前でおきていた。不思議な、しかしうつくしい光のきらめきはどのくらい見えていたろうか、ほんの1分にも満たない短いあいだだったように記憶している。ただ見とれていた。
 つかのまの出来事ではあったが、あの光景は何年たっても忘れることはないはずだ。