森の変容 1

 10月中旬から晴天がつづいている。すでに雨季に入っているはずなのに、雨は一滴も降らない。先日、バトゥールで植えた苗木はどうなっているだろうと気になってくる。年を追うごとに顕著になってくる異常気象だが、今年は乾季を長びかせ旱魃をもたらすのだろうか。
 月曜日にBさんが工房にやってきた。近くある展覧会のために、フレームの装飾につかう紙を探しにやってきたのだ。ちょうどこの日、スタッフといっしょに月に一度の大掃除とスタジオの整理をしていたところで、処分品のなかにBさんの希望にぴったりの紙が見つかり喜ばれた。
 Bさんはバリの画家である。墨色をメインに、伝統的な技法を駆使しつつ描かれる世界は独特の印象をもたらす。そして、なによりも絵にこめられるかれの生命力の強さや炎のような情念が見るものに迫ってくる。現代化するバリ絵画のなかでも特異な位置にかれは立っている、とぼくは思う。
 かれと知りあったのは、アルマ美術館の正面玄関でであった。絵を見終えて帰ろうとしたとき、玄関口の階段にひとりの男が腰をおろしていた。つぎに浮かぶ記憶は、ぼくは隣に座ってかれと話をしている場面である。たぶん、かれに声をかけられたのだろう。「どうだった、絵は?」といったふうに。
 その頃の拙いぼくのインドネシア語で、どのくらいの会話ができたのか、やはり記憶は曖昧だ。ひとつだけ鮮明に覚えているのは、かれがぽつりと「ひとはなんのために生きているのだろう」といったことだ。
 それはつぶやきにも、ぼくへの問いにも聞こえた。すくなくとも、そういう問いをみずからの内に抱えているひとなのだと、ぼくには映った。そして好感をいだいた。思い返して、かえってよかったのはぼくのインドネシア語が未熟だったことではないだろうか。知っていることばを総動員して、ぼくはごく簡単にこういった。
「そのこたえを知るために、ぼくらは生きつづけるんだと思いますよ」
 かれは一瞬ハッとしたようにぼくの顔を見た。
 この日からすでに14年が過ぎた。

モンキーフォレスト入り口。
 紙を包装したあと、Bさんとしばらく雑談にふけった。
 このごろ、かれがよく話題にするのはモンキーフォレストの拡張工事のことだ。
 
野生の猿が群れる
 モンキーフォレストはふたつの領域からなっている。ひとつはウブッドの観光スポットとして、どんなガイドブックにも掲載されている。野生の猿が棲息する深い森は、観光客がかならず訪れる憩いの場である。
 もうひとつは、このモンキーフォレストを含むパダントゥガル地区のプラ・ダレム(死者の寺院)として、隣接する墓地と火葬場の広い領域が森につつまれている。そしてBさんは、このプラ・ダレムの管理責任を負っている。この寺院周辺の石の彫刻はすべてかれの作品であり、ときに魑魅魍魎を彷彿とさせる造型は、かれの絵画世界とおなじように異様な凄みを感じさせる。
 拡張工事というのは、寺院のほうではなく観光スポットとしての「モンキーフォレスト」のほうで、新たに広い駐車場を兼ねた入り口を建設するのだという。かれは、その計画自体には反対しない、ただそれをつくるために森の木を伐採するのに猛反対していたのだ。
 駐車場の代替地を買い取り、森の自然を守ろうというかれの主張はひとりの賛同者もなく工事ははじまった。

駐車場建設現場

伐り倒されて放置されていた木
「もう、かれらとかかわる気がしなくなった」と、かれはいった。
「夜ベッドにはいってから、伐られた木のことを思うと涙がこぼれてくるんだ」
 森の一部が失われてしまった。ひたすら効率をもとめて生きるひとびとには、1本の木が伐り倒されるのを見て涙する人間がいることさえ想像できないだろう。
 さらに、モンキーフォレストにホテルを建設しようという「提案」までいまもちあがっている、という。
 森はもちろん、そんなことは知らない。
(つづく)