汝が名、ひと問はば...

初対面のひとの名前は聞いたはしから忘れてしまうトシになってしまったが、花の名前もしかり。むかしから知っている名前はともかく、新顔となるとかなりあぶない。
 花を買う。殊勝にも、いちおう育てかたや花の名前を店のひとに尋ねてみる。
「テロスマ・コルダタです」などといわれた日には、初めっから覚える気力も失せてしまうのだ。覚えようにも、なんのとっかかりもないではないか。聞かなきゃよかった、と思う。
 いま住んでいる場所に移ってから、せっせと花や木の苗を買っては植えて育ててきた。5年も経つと、それなりに庭の体裁もととのってきて、開花の周期が一致したりすると、かなり見栄えのよい花園ふうの眺めになる。
 で、困るのは、訪ねてきたひとにうっかり花の名前を尋ねられたときである。こういう難問は、だいたい女性から発せられる。とくに欧米人の女性が多い。男はおおかた素通りしていく。それはそれで味気のないものだが...。そこへいくと、バリの男性というのは、10人いれば3人ぐらいは花の名前を聞いてくる。
 アパ ナマニャ〜? と。 

名称不明の花。一日で花は落ちてしまう。
 ところで花の名前というのは、ラテン名はともかく一般的な名称は誰がどうやって決めていくのだろうかと疑問がわく。「蘭を野生にかえす」の項で、写真のキャプションに記した名前は、あれみんな日本の胡蝶蘭栽培会社のサイトを検索して参考にしたものだ。「ハニー」とか「ロマン・リップ」とか… せっかく胡蝶蘭という響きのうつくしい種名をもっているのに、この固有名では落差が大きすぎないだろうか。「ハーイ、ハニー!」などというケーチョウ浮薄な挨拶が思い浮かんできてしまっていけない。
 日本でロマン・リップと名づけられた胡蝶蘭を英語版の植物辞典で調べると Cecil Park となっていた。セシル公園? おいおい、これは地図帳か? なんで公園なのだ、だいたいセシルって誰なんだ? ったく、調べなきゃよかったとため息がでてくる。

flame violet という英名はあるが、和名は不明のまま。
 名前をろくに覚えられないし、調べてもろくな名前しかでてこないなら、もうじぶんで勝手に名前をつけてしまえ、とこのごろ思いはじめている。
 それで、手始めに、お気に入りの花に名前をつけてみた。
 これは1年中つぎからつぎと花をつけていて、真っ赤な小さな5枚の花びらと蜘蛛の糸のように細いめしべ、そして4本のおしべがツンと跳ねるように花の中心からつきでている。この花の素晴らしいところは、じつは顎にある。顎には白いものもあって、赤い花びらとのコントラストは清楚な印象をもたせる。が、ウチのはうすい緑からピンク、そして紫へと変化していく。まるで紫陽花のようである。赤い花びらが落ちてしまったあとも、ずいぶん長いあいだ顎の色の変化を楽しめるのだ。
 好きなのに名前を知らない。まるで『薔薇の名前』のアドソ見習修道士のようではないか。
 この花を初めて見たひとは、たいていこんな連想をいだくだろう。この顎がいくつも寄りそってパカッと開いたところは、ちょうど巣の中で口を大きく開けたヒナたちが、親鳥にむかって可愛いらしく餌をもとめて鳴いている姿だ。
「ピーチクパーチク、ピーチクパーチク…」
 そう、これ以外には考えられない。よし、決めた! これは「ピーチクパーチク」なのである。

これがピーチクパーチク。英名の glory bower ではまったくピンとこない。
 こんど誰かに尋ねられたら、しっかりと答えてあげよう。
“ What’s the name ? ”
「あ、コレ? これはピーチクパーチクです!」
“ What? peach.. pa ? ”
「ノーノーノー、ピーチクパーチクですよぉ」
“ Pea chi kuppa ? “
「違う! ピィーチクパーチクッ!」

 う〜ん、めんどくさそうだ...。