D通りのイタリア人 

 バリに移り住むまえの ’95年初頭、ウブッドでぼくは2か月の長期滞在をしていた。サッカーグラウンドの脇をとおる道沿いにあった、小さなロスメンに宿をとった。
 そこで出会ったのがイタリア人のSだった。かれがこの宿をほとんどじぶんの住まいであるかのように振る舞っていたのは、宿の若い女主人であるバリの女性Wとこれから「共同事業」を始める間柄にあったからだ。もちろん、それ以外の間柄については気づかぬふりをしていた。Wにはれっきとした夫がいるのだから、なおさらだ。
 ここには、いろいろなひとが宿泊客として出入りしていた。陽気な黒人青年は、跳ねるような足どりを運んでしょっちゅう外出していた。外に出ると、何日ももどってこない。だからかれとことばを交わす機会はなかったが、最後にかれを見たのは共同のダイニングルームで泣いている姿だった。
 そばにいたWに事情を尋ねると、
「お金がなくなっちゃったんだって…」
 と困ったような顔でこたえた。
 紛失したり、盗まれてしまったわけではない。使い果たしてしまったのだ、という。Wは宿の支払いもすんでいないかれを、少し疑っている気配だった。
 中年の肥満したドイツ人女性も、よく外出していた。買い付けでもしていたのかもしれない。いつも大きな荷物を抱えて帰ってきていたから。
 ある晩、夕食のあと、彼女が買ってきたイカットの布をみんなに披露してくれた。どれもそれほど高いものではないけれど、なかに1枚素敵な布があった。黒とグレーの細かい織りだったが、「シックですね」とぼくが言うと、彼女は驚いてぼくを見た。
「Sick ?」
 あ、シックは「病気」か、とすぐに気づいたが、じゃあ、なんといえばいいのか。強引に「日本ではシックと言うんです」と押し切ってしまった。
 あとで辞書を調べて、ぼくらがふつうにシックと形容することばは、フランス語の chic だとわかった。

 泊まり客が観光にでかけていなくなってしまうと、いつも宿にはSとぼくだけが残った。おのずと顔をあわせる回数も多いし、ふたりだけで話す機会も多かった。夜遅くまで話がはずむこともあった。映画の話や、小説の話題。いつも、かれは、ぼくに調子をあわせるように話をもっていくのが少し気になった。
 かれは、イタリアの貴族の出で、以前はF1のレーサーをしていたこともある、と言った。いまは、バンコクでイタリアン・レストランを経営しているのだが、バリへの進出を決め、Wとその詰めを話し合っているところだ、と語った。
 たしかにかれのつくる料理はおいしかった。かれがキッチンに立つと、なんだかワクワクとした気分になった。宿のスタッフを動員して、あれこれ大きな声で指示をだし、かれ自身も動き回りながら鼻歌をうたっていた。キッチンからダイニングにかけて、まるで大繁盛しているレストランの調理場のような賑わいをみせた。
「ここではいい素材が手に入らないから、100%の力は発揮できないよ」
 おいしい、おいしいと褒めながら食べているぼくに、かれはそう言った。
「でも近く、ママが食材を持ってバリに来るから、そのときには本物の料理をご馳走できるよ」
「とても楽しみにしている」と、ぼくはこたえた。


 少し前から、からだに変調をきたしはじめていた。耳の奥がうずくように痛い。がまんできないほどではないから日々の行動に支障はないが、ふと気づくと、やはり耳の奥が痛いという状態だった。
 気分転換にクタに移り、二泊ばかりしてウブッドにもどった。耳の痛みは消えていた。しばらくすると、こんどは耳ではなく目の奥に痛みを感じるようになり、ときどき目をつぶってじっとしていることもあった。
 やはり、ほかの場所に移ると痛みはおさまった。
 突然、脈絡もなく気づいた、これはSが原因だ、と。ぼくの意識していない内部でなにか「危険」な要素をSに感じている。Sに対しては耳も目も閉ざすべきだ、とぼくの内側の深いところから、からだを通してシグナルが発信されているのだと気づいた。
 ぼくはこころを構えて、ウブッドにもどった。
 夜、階下のダイニングが急に騒がしくなった。下に降りてみると、Sがかれの母親を空港に迎えにでて帰ってきたところだった。トランクや大きなバッグ、段ボールの荷物、そしてそれらの荷物をひとまとめにしても負けないくらいに太ったかれの母親が、割れるような大声で女主人のWにイタリア語で挨拶をしていた。隣ではSが母親を見下ろしながら微笑んでいた。
 貴族の出、とSが言っていたのを思い出して、おかしくなった。いままでかれの口から紡ぎだされた話のすべてが、一気に色あせ、霞んでいくような気がした。
「ママにきみの話をしたんだ。ぜひ、ディナーに招待したいというのさ、どうだろう明日の晩は」
 Sが聞いてきた。
「うん、楽しみにしている」
 とこたえた。
 7時に、ぼくら3人は近くのレストランでテーブルを囲んだ。食事の半ばで、Sは慎重な面持ちになり声のトーンを変えた。まずは、ぼくを妙に褒めだすところから話ははじまった。きみのセンスの良さには敬服するとかなんとか…。ぼくは、つぎにでてくることばを待って黙っていた。
 かれ(ら)の計画がいま頓挫しているのは、あとわずかの資金が足りないからなのだ、とようやく本題にむけてかれは集中しはじめた。英語を話さないかれの母親は、じっと息子の顔をみつめていた。
 かれの話のディテールに耳を傾ける義務はぼくにはない。だから、1万ドルという金額がかれの口からでたときも、ぼくが考えていたのは、この会食はどういうふうに終わるのだろう、という少し先にあるはずの状況だった。
 夜中、ドーンという凄まじい音で目が覚めた。ふたたび、ドーンという音が響き部屋のドアが震えた。Sがぼくの部屋のドアを蹴り飛ばしているのだとすぐにわかった。音と振動がやむと、ぼくはベッドからそっと出て窓際に寄った。カーテンの隙間から見えるのは、階段を下りていくSの後ろ姿だった。
 ぼくはベッドにもどり、ふたたび横になった。階下からはなんの音も聞こえてこない。
 明日はここを出よう、と決めた。

 
 バリに住むようになってから、Sの消息を聞いたのは二度だけである。一度目は、ジャワ島出身のインドネシア人女性と結婚しサヌールに住んでいるという話。そして、今年に入ってから耳にしたのは、だいぶ前に国外退去の処分をうけ妻とこどもを残したまま、バリを去ったという噂だった。
 でも、本当のところはわからない。