マニュアルのない社会

 いまバリは電力事情が悪化していて、しばらく前から「計画停電」なるものが実施されている。日替わりで一定の地域が午後6時からほぼ3、4時間電力供給をストップされる。この日替わりメニューは10日から2週間のサイクルで最初にもどる。
 終わることを知らないリゾート開発が、電力不足を招いている大きな要因だとは思うが、インフラの整備がそれに追いつかないのだろう。新聞の論調をみているともっぱら節電を訴えているが、たしかに現状ではそれも対応策のひとつといえる。
 もっとも、バリ北部にすでに発電(送電?)施設が完成しているのに、付近住民が「反対運動」をしていて稼働できず、そのためにいまの状態がつづいているのだと、ぼくのスタッフから最近聞いた。
 計画停電の通知はあらかじめ決定している地域については前日の新聞に載っている。それ以外にも突発的に停電はあるし、ここで初めて聞いたことばだが「瞬間停電」というのもしょっちゅうある。だからパソコンなどの機器は壊れやすくなるのだ。
 新聞に掲載されている計画停電の通知をみていて、ふとこう思った。ここには、ただ、明日の日付と施行時間、そして地域名が羅列しているだけだが、どうだろう、日本でこういう通知が告知される場合、おそらく「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんうんぬん」といった、定型とはいえそれなりの「仁義」があるのではないだろうか。
 しかし、ここでは、まるで日の出・日の入りの時刻情報のごとく素っ気ない。
 じつは先週月曜からきょうに至るまで、電話が不通になっている。これがフシギなのだが、電話をかけようとすると不通になっているのだが、ふともう直ったかな、と受話器をとると通じている。必要なときには不通になっていて、どうでもいいときにはしっかり通じているのである。毎日これの繰り返しだ。
 携帯電話をつかってスタッフに電話局へ電話させた。
「なんの問題も発生してないですよ、お宅の電話器が故障してるんじゃないですか」
 といわれたそうだ。こういうバックレ対応には慣れてしまっているので、つぎにぼくが電話した。どうやら担当者が違っていたようで、こちらの係は「技術のほうに連絡しておくのでもうしばらく待ってください」ときた。ここで、じゃあ、どのくらい待てばいいのか、などと間違っても突っ込んではいけない。「よろしくお願いします」といって電話を切るのがオトナの態度なのだ、ここでは。それでも、電話が通じなければ、ああ、ウチには電話ってなかったんだ〜、というくらいの心掛けをもっていたほうが、ストレスなくバリでは暮らせる。
 すでに、悟りの日は近い!?
 こうした公共事業体の応対に接していると、この国にはマニュアルというものがないのだろうか、と感じる。あったとしても、埃をかぶっているのだろう。
 最近はさすがに少なくなってきたが、スーパーのレジなどでは釣り銭を放り投げてくるのがふつうだった。ありがとうございました、のことばもなく釣り銭をレジ横の机のうえに放るのだ。このムスメなにかイヤなことでもあったのか、と思ったり腹立たしく思ったりしたが、ほかのレジを見ても、また釣り銭放り投げられている買い物客をみても、ひと騒動起きているわけではないから、どうもそれでいいのだ、かれらは。
 でも、ぼくはよくない。だから、そんなレジ態度のところでは、ぼくは金を放り投げて支払うことにしている。で、むこうも釣り銭を放り投げてくる。結果、均衡のとれた取引が成立、というわけだ。
 ひるがえって、日本の超マニュアル化した接客に困ることもしばしばある。これは多くのひとが感じていることだろうから、いまさら…の話なのだが、ぼくの場合、長く日本を離れているので適応できなくなるときすらあるのだ。
 あるとき友人との待ち合わせに少し時間の余裕があったので、駅ビルのベーグル屋にはいった。ベーグルにコーヒーを注文したところまでは、ぼくのペースだからまことにスムースだ。そのあとレジ娘がなにか発声した、というのは分かる。まあ、聞き取れないわけだ、ぼくには。
 早すぎる! 母音がアイマイ! 首をかしげて、ぼくは言った。
「あのお、なに言ってるんだか分からないんですが…」
 娘がギョッとして一瞬たじろいだのがわかった。しかし、マニュアル娘もめげてはいない。ふたたび寸分たがわぬ同じ調子で、「チ○↓パチ×キェッ★×ヒュ←△●☆!!!!」と発声した。今回は、わずかに「トッピ…」という音が聞き取れたので、ああトッピングをなににするかと聞いているのだな、と理解できたしだい。
 最後にもうひとつ。最近の傾向だと思うのだが、喫茶店などでレジ係が釣り銭を渡すときに、右手にお金をもって客の手のひらに、そして彼女ないし彼の左手は間違いなく客の手に、支えるように下からあてられる。手を握ってくるものまでいる!
 釣り銭放り投げられるのは不愉快だが、ジトっと手を触れてくるのも、あらぬ誤解を生みかねないからやめたほうがよい、とぼくは思う。