ニワトリがサンバルくわえて…

 むかし、父から忠告をうけたことがある。
 ほうほうの態で高校を卒業し、辛うじて大学に進んだころのことだ。
「どこから見ても、お前は鴨がネギをしょって歩いているようにしか見えないのだから、外に出たときにはくれぐれも注意せよ」
 どう反応していいのかわからず、黙っていた。そんなふうに見られているとは心外だったが、忠告は忠告として聞いておきましょう、という態度でおとなしく黙っていた。
 ところが、それ以降、父親というのは見ていないようでいて、じつはよく分かっていたんだな、と実感する経験をこころならずも重ねてしまった。
 バリに来てまでどうもこの傾向はつづいていた。ここには鴨はいないから、「鴨ネギ」とは言わないだろう。あえて類似表現を創作すれば「ニワトリがサンバルくわえてやってきた」となるか、つづめて言えば「ニワサン」だ。「サンバル」とは香辛料をペーストにした、いわば「タレ」である。
 ある朝、6時ごろ、コーヒーを飲んでいるところへ表の入り口から声が聞こえた。当時、住み込みで働いていたMがさっと外に出て、入り口にむかった。そして、もどってくるなり言った。
「鳥売りです」
 あのさあ〜、そう気軽に鳥売りです、っていわれたって、そんなものに用はないでしょが、こんな朝っぱらから。
「帰らないんです、バパッと直接話がしたいって言って」
(「バパッ Bapak 」というのは、男性に対する尊称で日本語にはちょっと訳しにくい。ぼくのスタッフは「バパッ」とぼくを呼ぶし、ぼくも初対面の男性に対しては年齢に関係なくこの尊称をつかっている。)
 しょうがないなあ、じゃ、バパッが行って断ってきますっ!
 腰高の門扉のむこうに老人がひとり立って、にこにことこちらを見ている。近づくと、竹で編んだ小さな籠を手に下げているのが見えた。この中に鳥が入っているんだな、と至極あたりまえのことを思いながら老人をよく見ると、これがじつに温厚そうなひとで、しかも身なりがこれまたじつによく整っている。
 失礼ながらバリでは、とくにぼくが住んでいるような農村地域だと、「身なりの整った老人」というのを見るのはきわめて稀なのである。カイムといっても誤りではない。そりゃ、お百姓さんのお仕事というのは、どこの国でだって、そうそうこぎれいに身なり整えてやるものでないのはわかっているのだが、とりわけここでは、皆さんラフなスタイルに徹しきっている。こう言ってはなんだが、着ているモノは上下ともいつ捨てても決して惜しくはない、といった感じだし、履いていたサンダルだっていつのまにかどこかに脱ぎ忘れて、どちらかといえば裸足で歩いている方々が圧倒的に多いのだ。
 そういう日常風景にとことん慣れきってしまったぼくの目には、いま目の前に立っているこのご老人の身なりは、非日常に属するファッションなのだ。パリッとして輝くように白いワイシャツ(じっさい、朝日を浴びて輝いていた)、ダークグレイのスラックス、そして驚くなかれこの老人は革靴を履いていたのだ、革靴を! 
 そして、顔の輪郭やつくりがどことなく、ぼくの大好きだった俳優志村喬にちょっと似ているのだから、まいった。
 後日、この朝の出来事をじっくり反省した折、まず、ぼくのこの初期反応にいかんともしがたい弱点がみてとれる、という結論を得た。要するに、見た目に弱い、のである。見た目の奥にある「真実」をえぐりだす眼力に欠けているのだ。
 星の王子さまにキツネくんが言っていたではないか、「肝心なことは目には見えないんだよ」と。小学生でも知っているこの真理を、大のオトナがおとといの天気を忘れてしまうように、ポロリと忘れてしまうとは…。
 さて、この朝日を浴びてまばゆいばかりの老人がこう言った。
「わたくし、鳥を持ってまいりました」
 そんなもん、頼んだ覚えはないヨ、と即座に言いきるのが、賢明な社会人のフツーの反応なのだろうか? ぼくの場合、ん? 「持ってきた」と言ったな、 持ってきたというのは「売りにきた」とは明らかに違う行為だ、いったいどういうことなんだろう? と反応してしまうのだ、というか、こころにひっかかってしまうのだ。まさに、ここからひっかかりはじめてしまうのであろう。
「でも、ぼく、鳥は飼いませんよ。それよりも、お隣に行ったらどうですか」
 お隣というのは、観光客向けのレストランである。オーナーが鳥好きで、さまざまな鳥を籠に入れて飼っている。鮮やかな色彩の羽毛におおわれたものから、朝夕、涼やかな鳴き声を聞かせてくれるものまで多種多様な鳥が飼われているのである。ところが、老人はにっこりと微笑みながら首をゆっくりと、あえていえば優雅に、二度ばかり横にふって言った。
「いいえ、この鳥は××のマンクゥ(僧侶)からバパッのところへ持っていくようにと命じられたのです」
 ××は聞きとれなかった地名である。しかし、ぼくの知り合いでマンクゥをしているのはふたりしかいないし、ふたりともこの近くの人物でこんなふうに使いをたててどうのこうのするようなタイプではない。用があれば、息子をよこすかあるいはじぶんでさっさと足を運んでくるはず。
「どこのマンクゥですか?」と聞き返すと、「カラガッサム」とこたえが返ってきた。
「カラガッサムには知っているマンクゥはいませんが」
「いや、マンクゥはバパッを知ってるのです」
 と、すかさず返事が返ってきた。しかも、である、ここまでのやりとりで感じいったのだが、この老人の話し方がまことに穏やかで、一語一語言い含めるような品に満ちた語り口なのだ。
 またまた失礼ながら、バリのひとびとの、いやぼくの住んでいる地域の、と限定して言うべきか、ともかくぼくの知るかぎりバリのひとというのは、まず、発声からしてきつい。茨城弁のようにきつい。そして声がやたらバカでかいのも特徴だ。
 しかし、この老人はそういう日常の言語光景とはまったく違うのだ。ここにも非日常がかいま見えたわけである。その穏やかな声色に、言わずもがな、あらためて好感をもってしまった。
 カラガッサムのマンクゥが誰なのか、にわかには思いあたらないが、そんな出会いもあったのだろうか? もしそうなら、粗相があってはいけない、門扉をはさんで話しつづけるのも失礼かと、とりあえず老人に中へ入ってもらった。
(つづく)