続・ニワトリがサンバルくわえて…

 もともと、籠に飼われている鳥を見ると違和感がフツフツとこころのなかにわいてくるのが常であった。少しきつい言い方をすれば、文字通り、飼い殺しだと感じていた。趣味と称して、鳥のいのちを歪めているようにぼくの目には映る。だから、鳥を飼っている友人の自慢話を聞いていても、「キミは鳥を必要としているけれど、鳥はキミのことをぜんぜん必要としていなかったのに…」とこころのなかで呟いていた。
 ところが、そんなぼくがやむを得ず小鳥を飼うはめになったことがある。8年前の話だ。
 ある日の午後、スタッフが「木から落ちてきた」といって、まだ羽毛も生えそろっていないヒナ鳥を手にして、ぼくの部屋にやってきた。当時の仕事場の脇にあった木の枝に鳥が巣をつくっていて、ヒナはそこから墜落してしまったのだ。
 動物のこどもはすべてあどけない。デズモンド・モリス(『裸のサル』)だったかコンラート・ローレンツ(『ソロモンの指環』)だったか、そのどちらかが、そのあどけなさこそ生き物の「戦略」だと書いていた記憶がある。保護され、哺育され、生き延びていくための戦略だと。
 この説が必ずしも正しいとは思わないが、動物のこどもは、誕生からある時期を過ぎると、じつにどれも可愛らしくあどけないのは確かだ。そばにおいて飽きずに眺めていたくなる。
 木から不運にも墜落してしまったこのヒナも、例にもれずあどけなかった。スズメ科の鳥で、ここではチュルプックと呼ばれている。スズメとは違い、比較的ひとになつくらしい。じっさい、餌付けはいとも簡単だった。軽く握った左手の中にすっぽり包まれ、竹でつくったヘラの先においた餌を腹が満ちるまでねだった。
 ネズミに狙われないように、夜は籠のなかに入れ覆いをかぶせて吊るしておいた。朝になると籠から外にだしてあげる。「ガルーダ」と名前をつけた。
 羽がそろいはじめると、パタパタと翼をひろげて少しずつ飛べるようになった。ちょうど、その頃、犬のチェリーが生後1か月くらいで、ガルーダの飛ぶ先々を追いかけて遊んでいた。
 まるめたティッシュをチェリーに与えると、目ざとくそれを見つけたガルーダがサッと飛んできてティッシュの端をくわえて引っ張る。チェリーも一方の端をくわえ腰を低くして引っ張る。まるで綱引きだ。まだ生後間もないとはいえ、当然犬の力に及ぶはずもない。形勢不利とみるやガルーダはひょいと飛び上がって、チェリーの額をコツンと突っついて反則行為に及んだ。チェリーはキャンと声をあげてティッシュを離してしまう、そのすきにガルーダはティッシュをくわえたまま飛んでいってしまうのである。
 朝の、まだやわらかい日差しがさすころなど、テラスで犬と並んでひなたぼっこをしながら、一生懸命に羽づくろいをしていた。
 ピュッと口笛を吹くと、どこにいても飛んできてはぼくの肩に着地した。夕方は、だから口笛を吹いてガルーダを呼び、籠にいれてかれの一日を終わらせるのだった。
 じつはこのガルーダ、タバコが大好きだったのか大嫌いだったのか、火のついたタバコを見ると、サーッと滑空しながら飛んできてはタバコをとりあげてしまうのだ。吸い口をくわえ、火のついている先をタイルの床にピシッピシッと叩きつける。そして、火が消えていようがいまいが、タバコを踏みつけついばみ、ボロボロになるまでそれを繰り返している。
 タバコは、ぼくのものであろうが客のものであろうがお構いなし、見つけるやいなや飛んできてはとりあげる。
 鳥の生態からすればこの行動は、虫やミミズなどを捕まえるととりあえず木の枝にとまり、くわえた生き物を枝に叩きつける一連の捕獲・食餌行為のひとつに違いない。それは、わかる。でも、なぜタバコなのか。
 禁煙運動?

 ある日の夕方、どこにもガルーダの姿が見えないのに気づいた。口笛を吹いても、名前を呼んでもガルーダは飛んで来ない。外にでてみた。家のまわりを歩きながら口笛を吹いた。空を見上げ、木を見上げて口笛を吹いたが、ガルーダは姿をあらわさなかった。
 翌日もその翌日も、朝から同じことをくりかえしてみたが、けっきょく二度とガルーダの姿を見ることはなかった。突然の「失踪」に胸が痛んだ。
 けっきょく、飼い方に間違いがあったのかな、と思った。ひとをも犬をも恐れなくさせてしまうのは、ほかの動物に対しても容易に油断させてしまうのかもしれない。犬は、チェリーだけではない、周辺には野犬まがいの犬がゴロゴロといる。ネコも行き交っている。
 もし、誰かに捕まって飼われているなら、それはそれでしかたないだろう...。
 いずれにしても、ぼくの飼い方に過ちがあったのなら、ガルーダの失踪はそれに由来するのだと思えてしかたなかった。鳥は、もう飼うまい。野にあるものは野に返せ、だ。

 その後、1年ぐらいたった頃だろうか。あるとき、バリの知人が鳥の入った籠をぶら下げて訪ねてきた。鳥を捕まえた帰りに寄っただけなのだが、ぼくに見せるのが目的でもなかったようだ。鳥は、ガルーダと同種のチュルプックだった。
 その知人が入ってくるなり、チェリーが尻尾をちぎれんばかりに左右にふって鳥籠めがけて立ち上がったのだ。後ろ足で立ち上がっては籠の中をのぞく。クンクンと鼻を鳴らし、からだをくねらせながら、思いっきり嬉しさを表現している。知人は、チェリーが鳥を狙っているのではないかと心配して、籠を高くもちあげるが、チェリーは小躍りしながら籠の中の鳥をのぞこうとする。
 チェリー、おまえ、覚えてたんだねえ。えらい、えらい。
 でも、これはガルーダではないんだよ。楽しかったね、いっしょに遊んだ頃は。でも、これはおまえの友だちの、あのガルーダではないんだ。
 テーブルの上に置かれた籠の中の鳥を、それでもチェリーはしばらくじっと見つめていた。
(さらにつづく)