続々・ニワトリがサンバルくわえて...

 バリの志村喬老人を家の中に案内しながら、ぼくはガルーダを思い出していた。鳥は飼わない、これはぼくの原則なのだ、だれがなんと言おうとゼッタイ飼わない、と再度の誓いをたてていた。野にあるものは、野に返せ、なのだから。
 テーブルを挟んで差し向かいに座った老人にぼくは言った。
「ぼくは鳥は飼わないんです」
 かれは、あなたのことばなど風に吹かれて飛んでいってしまいましたよ、といわんばかりの笑みを浮かべたまま、口をひらいた。
「これは特別の鳥なのです」
 ぼくは、じつは、こういうセリフに弱い、と打ち明けておこう。特別の日、特別の樹、特別の酒、特別の〜…。特別というのは文字通り特別なわけで、フツーとは違い、そこにはなにかしら未知の惹かれるものがある。「特別の鳥」がなにを意味するのかは知らないが、こころ惹かれると同時に、こころに決意したものが微かに揺らいでしまう何かがこの語にはあるのだ。
「これは“ティティラン”なのです」たたみかけて老人は言った。
 ティティラン? いやに響きのいい名前ではないか。で、どう特別なのか?
「この鳥はバパッに幸運を呼びます」
 信じない。
「多くの富ももたらします」
 ドリーム・ジャンボ、か?
「マンクゥがどうしてこの鳥をもっていくように、と言ったのですか」
 ご託宣はどうでもいいから、ぼくは肝心の疑問を口にした。そして、目の前にある籠をあけて見せてほしいと頼んだ。
「寺の修復工事が始まるので、マンクゥが鳥を持っていくようにといわれました」
 なあんだ、寄付金集めか〜。籠の中には番(つがい)の小鳥が入っていた。メス(らしきほう)は、ちいさな頭のうえに産毛のような羽がツンと立っている。つぶらな目の周囲をウグイス色の環がぐるりと囲んでいる。羽の色は薄いグレーで、ところどころに白い羽が混じっていた。
 ぼくが二羽の小鳥を眺めていると、ずっと傍らでぼくと老人の話を聞いていたMが、バリ語で老人と話しはじめている。ぼくにはバリ語は理解できないので、小鳥の観察に専念した。
 オス(らしきほう)は、メスよりもはるかにシャープな容貌をしている。羽の色も濃く、白い小さな斑が扇状に首のしたから胸にかけてひろがり腹のほうでフェイドアウトしている。二羽はピタッとからだを寄せあってぼくを見ている。可愛いねえ、きみたち、ティティランっていうんだぁ、鳩の仲間だねえ。
 と、突然、ぼくの目の前の志村老人がクッ、クッ、クと声をもらして泣き出してしまったのだ!
 な、な、なにがあったんだ !? さっきまでの和やかなムードが、なんで唐突に!? 
 ここで [注と解説] をいれると、バリのひとびとの涙のつぶの大きさというのは、これはハンパではない。日本人の涙の大きさとの比較を、ブドウのつぶに例えれば、デラウェアと巨峰の差くらいある。
 これは、かれらの目の大きさすなわち眼球の大きさが、日本人よりも大きく、しかも少し前にせり出しているのが原因だ。眼球が大きければ、当然その表面積も広い、涙はまずその広い眼球表面に満ち、そして目の隅にたまったのち、いわゆる涙として落ちてくる。表面にたまる涙の量が多いから当然巨峰のようなインパクトのある涙となるわけだ。
 志村老人も例外ではなく、巨峰級の涙をボタボタと流してむせんでいた。しかも、ぼくの顔を恨めしそうに、まるで救いでももとめるように泣いているのだ!
 どうしたの? という目でMを見ると、かれも突然の場面転換にびっくりしたのだろう、少し顔をあからめながら話した。
「おじいさんがカラガッサムから来たというから、ぼくもカラガッサムの出身だけど、修復する寺院ってどこなんですか、って聞いたんです」
 それで?
「そしたら、おじいさんがルムプヤンだと言うから、そんな話はぼくは聞いてませんねえ、って言ったら泣きだしちゃったんです…」
 というやりとりを聞いていた老人は、またいちだんと声をあげて巨峰をドボドボとこぼすではないか!
 もーっ、わかった、わかった、志村さん、寄付はちゃんと出しますから、泣くのはやめてくださいヨ。こんな朝っぱらから、お爺ちゃんの泣いている姿をみるのはご免ですよー、それに小鳥たちもけっこう可愛いし…。
 老人が泣き止むのを待ってから、ぼくは寄付金はいくらかと尋ねた。
「ご随意に」
 というお決まりの返事がかえってきたが、この「ご随意に」というのがなかなかその通りにならないのも、たぶんバリらしさかもしれない。
 まあ、このぐらいでいいかな、という金額の札を財布からだして、はだかのまま老人の目の前のテーブルに差しだした。すると、ついさっきまであんなに泣いていた老人は、フッフッといった感じの笑いを口元に浮かべ、首をゆっくりと、あえていえば「ご冗談でしょ」といったしぐさで、二度ばかり横にふって告げた。
「この鳥は、そんなものではないのです」
 んも〜、最初っから言えばいいものを。じゃあ、いくらなの? 
「×××××××です」
 ! ! ! ! ! ! ! ! ! !
 金額の詳細はここには記さない。亡くなった父が、安らかに眠っていられるように。

 二羽のティティランは、かくして、ぼくの家の軒先に吊るされた新品の鳥籠に収まったのである。
 翼がしっかりと飛ぶ力を備えたら、この鳥をルムプヤンまで持っていって放そう。あの寺は、山の頂上にあって何百段もの階段を昇っていくそうだ。まだ一度も訪れたことのない場所だから、いい機会かもしれない。
 けっきょく、ふたたび鳥を飼うことになってしまった...。
(まだつづく)