完結・ニワトリがサンバルくわえて...

 ティティランという山鳩の一種である小柄な鳥は、たしかにバリでは「特別な鳥」として扱われている。有カースト者のなかでも、いわゆる王族にあたる人々の火葬の際に、ティティランの番(つがい)が空に放たれる。死者の魂が天上に昇るその道案内の役割でもはたしているのだろうか。だから、かれらの家ではこの鳥を飼っているのが多い、と聞いた。
 それからバリ暦による誕生日(オトン)のときには、供物のひとつとして祭壇に捧げられる。この場合は、丸焼きにされてしまうのだが。
 鳥の生長は早い。羽が生えそろい、やがて愛の季節がやってくるのも数カ月のうちだ。はじめのうちはひとつの籠に入れて育てていた。オスは「ティティ君」メスは「ランちゃん」だ。しかし、鳥の鳴き声を楽しむには、オスとメスを別々の籠に入れておかなければいけないと聞いて、さっそく新たに籠を買ってきて軒にふたつの籠を吊るした。
 ある朝、突然、ルルルルルゥーという細いけれどよく通る声で鳥が鳴いているのに気づいた。鳥かごをみると、それぞれ止まり木につかまってキョトンとした表情でいる。どちらが鳴いたのかわからない。
 それからしばらくすると、フォーフォーフォーとよく響く声も聞こえるようになった。これは、ティティのほうだった。午前中、なんべんも、かなり長く鳴いているのですぐに見分けがついたのだ。すると、ルルルゥーはランの鳴き声なのかと、ようやく声の主がわかった。こちらは滅多に鳴かなかった。
 そう頻繁にひとが訪ねてくる家ではないが、ときどきやって来るバリニーズのなかに、籠の中の鳥を見るなり「あっ、これニセモノだっ!」と鬼の首でもとったような口ぶりで言うものがでてきた。
 ニセモノ? まさか! にわかには信じがたいことをこうしゃあしゃあと言われると、仮にニセモノをつかまされたとしても、それに腹が立つより、抜かした連中のデリカシーのなさにムカッとくるものだ。
 たまたま、犬のケガの治療のために獣医が来たときに尋ねてみた。
「鳥のことはよくわからないけど、ティティランはニセモノがたくさん出回っているから…、ところでバパッ、鳥籠は風上におかないほうがいいですよ。鳥のフンにはバクテリアがたくさんついているから、風でとばされてきますよ」
 そう、こういう思いやりのあることばがほしいのだ。
 やはり、獣医の見立ても「ニセモノ」ということなのか、婉曲に言っても?
 では、本物というのはどういう姿をしているのか、とウブッドの鳥屋をのぞいてみた。う〜ん、ここにあるものとウチのティティランとどこがどう違っているというのだろう。ひょっとして、この店の鳥も全部ニセモノ? 実のところ、これという確信のないまま、日は過ぎていった。強いて言えば、メスの頭頂の羽が怪しいようだ。本物は、フワッとした産毛のような冠があるらしい。しかし、ウチの「ランちゃん」は、なんというかたんなる寝グセのような感じで、頭の一部が毛羽だっているだけで、とても冠とは呼べない。
 Mは、どこで仕入れてきたのか、こんなことを言った。
「まだヒナのうちに、この頭のところへ糊で羽をくっつけてごまかすらしいですよ」
 そんな糊がいつまで保つというのだろう。
 もう、どっちでもいいというのが本心だった。いずれ、この二羽の鳥は野に放つのだから。
 ただ、心配だったのはこうやってひとの手によって餌を与えられつづけたものが野生にもどれるのだろうか、という点だった。獣医にそんな話をしたところ、「むずかしいと思う。ウチでも飼っていた小鳥を放したんだけど、けっきょく毎日やって来るので餌をあげてるのよ〜」と笑いながら言った。
 せめてその前に、二羽の鳥をいっしょに住まわせてやりたかった。籠の中に別々に入れられて、相互に相手を求めうつくしい声を聞かせてくれるのは楽しみだとしても、ピタピタピタと足踏みしながら落ち着きなく籠の中を歩き回る空しい求愛行動は、見ていて哀れだった。
 スタッフの手を借り、ほぼ1メートル四方の小屋をつくった。このくらいの広さがあれば、少しは翼の力もつくかもしれない。そして二羽の鳥を小屋の中に入れた。ようやくティティとランはひとつになった。
 そのうちに、抱卵する姿を見せはじめたが、いちどもヒナが孵ることはなかった。ココナツの殻を割ってつくった巣に、いくつもの卵が放置されたままになっていった。
 やがて、ティティに異様な行動が始まった。産みおとされたばかりの卵を突っついて食べてしまうようになったのだ。そればかりではない、もっと悲惨な事態にことは進んでいった。
 ある日、小屋の中が妙に騒がしいのに気づいた。ネズミか蛇かが侵入したのではないかと胸騒ぎがして、急いで外に出て小屋をのぞいてみた。ティティがランを追いかけまわしている。求愛にしてはやけに派手すぎる。と、よく見たらランの頭部が血だらけになっているではないか! 逃げまどっているのでランの様子がよく見てとれないのだが、肉がすでにえぐられ頭蓋骨まで露出している。傷口の状態からすると、いまに始まった「惨事」ではなかったようだ。
 ランを古巣である籠にもどした。傷口にはヨードチンキを塗った。
 鳥の生態についてはよく知らないが、いまになって思えば、この二羽は異種だったのかもしれない。ティティは突然(?)それに気づき攻撃行動にでたのかもしれない。
 いよいよ鳥を放つときがきた、と思った。
 ランは傷が癒えるまで待ってもらうしかない。まずは、ティティからだ。これも古巣の籠に入れ、工房の東のはずれに持っていった。以前、よくここの軒に籠を吊るしておいたので、風景も見慣れているはずである。飛び立ってから方向感覚をつかむのも早いにちがいない。
 籠の横についている餌の出し入れ口の、ちいさな戸を開け放しにしておいた。タイミングを選ぶのは鳥にまかせよう。仕事をしながら、ときどき様子を見ていた。ティティはあいかわらず籠の中にいたが、どうやら戸が開いているのには気づいているらしい。
 何度目かに鳥籠をみたとき、ティティの姿は消えていた。急いで籠の吊るしてあるところまで行き、周囲を見まわしてみたがやはりティティの姿はなかった。
 空高く飛ぶことはできたのだろうか。まばゆい光のなかでティティの見た世界はどんなふうに映っただろう。初めて見る広い田園と横たわる森、そのそばを流れる川、家々の屋根はかれの眼にどんなシグナルを発信したのだろう。
 風をうけながら飛ぶティティの姿を想像して、しばらく仕事の手を休めていた。