もの食うぼくら バビ・グリンの巻 3

 ‘95年に、日本をしばらく離れようと決め、それではどこへ行くかと考えていたとき、「バリ」は第一候補であった。
 世界地図をひろげ、まず南北アメリカ大陸を手始めに、消去法でヨーロッパの国々がフッと消えアフリカ大陸がポッと消えていくうちに、自ずと残ったのはアジアの国々だった。
 つぎに、ぼく自身にとって負担とならない場所、具体的に言えば紛争の火種がない、政治的に安定している、宗教的厳格さが生活に及ばないなどなど、これも消去法で選んでいった。
 消去法は当然ながら消極的な選択方法であるから、あくまでも参考にする程度のものかもしれない。積極的な理由がほしかった。
 そしてバリには、住んでみたいと思うにふさわしい魅力があるのを、それまでのバリ来訪の経験から十分に分かっていた。ひとことで言えば、アニミズム的世界観が生きている島であり、それを支える自然、その世界観から醸しだされる生活文化のありようが強い吸引力になっていた、といっていい。

 ところが、うかつにも食べ物のことをまったく考えていなかった点に、移住してしまってからハタと気づいた。
 全然、合わないのだ! これには弱った。スパイス・アイランズなどと勝手に名づけて植民地化していった連中の気が知れないくらい、ぼくはスパイスが苦手なのだ。
 食う——— 生きるうえでもっとも基本的なこの部分で、思いもよらなかったことに忍耐とあきらめを味わうハメになった。
 香辛料をふんだんにつかった料理の香りはよい、でもいざ食べるとなると過激な辛さに辟易し、スパイスがどうしても「薬」の味に思えてしかたない。スパイスをたっぷりつかって煮込んだ肉や野菜も、喩えて言えば大量の正露丸かなにかの生薬で味つけをした肉や野菜に等しい、ぼくにとってはそういうニュアンスなのである。
 もちろん、スパイスは同時に薬でもある。家庭料理につかわれるスパイスのほとんどは、「ジャムウ」と呼ばれる伝統的民間薬のレシピに登場する。赤タマネギ、チリ、ショウガ、ウコン、丁字、クミン、胡椒などは風邪薬や解熱剤のジャムウには欠かせない。
 思うに、ぼくの体質あるいは舌の感覚が、こういった素材をあくまでも「薬」として受容するようにしかできていないのだろう。ひょっとして原始的なのかも。
 ところが、バビ・グリンの場合、この薬…じゃなくてスパイスのつかいかたが間接的なのである。十数種類のスパイス(こ

の紹介については次回)を細かく刻んで、空洞になった豚の腹部に詰めこむ。火で焙られているあいだ、豚の内部で熱せられたスパイスの香りは、じんわりと肉にしみわたっていく。ほのかに味つけされていくのだ。
 もちろん、おおかたのひとは、焼き上がったあとの豚の肉をこのスパイスをたっぷりつけて食べる。それが、いわば醍醐味なのだから。でも、ぼくはいいのだ。かすかにスパイスの名残りのようなものを味わっているだけで。
(つづく)