もの食うぼくら バビ・グリンの巻 4

はじめにサンバル / sambal とブンブゥ / bumbu の違いを説明しておこう。前者は日本流にいえば「タレ」であり、後者は「調味料」となる。サンバルの材料は、ニンニク、チャベ(緑トウガラシ)、ロンボク(アカトウガラシ)、バワン・メラ(アカタマネギ)などを丹念にすり潰してペースト状にする。ブンブゥのほうはさらに種類も加わり、料理にあわせて多様な組み合わせが生まれる。
 より正確を期したいところだが、きょうは(「きょうも」と言うべきか)お手伝いさんが村の寄り合い活動があるという理由で休んでいるので細かい確認ができない。
 そこで、仕事をしているスタッフら(ここでも、ひとり休んでいる)に確かめようと工房をのぞいてみたら、朝の打ち合わせのとおり、5人でストック用の紙をつくっている最中だった。近づいてみて、ああ、またやらかしていると気づいた。
 紙を漉く作業は、基本的には共同作業だ。ちょうど、2m×3m大のものをつくっているところで、その大きさの漉き枠に紙料を流し込み指先で均一化していく。均らしながら厚さも同時に調整していくのだが、いまつくろうとしているストックの紙は「中厚」のはず。ところが、実際には、その2倍近い厚さのものを漉いている。
 キミたちなにつくってんの !? それはボール紙かい? 
 こういう場面はいまに始まらない。共同作業のもつ「欠点」ともいえるが、全体の流れに対する依存性が強くでてしまう。最初の間違った動きが伝播し、それが全体の動作になる。仮に、あるひとりの人間が「これは、おかしい」と途中で気づいたとしても、無言のまま全体の進む方向に従ってしまう。付和雷同だ。寄ってたかって、なんのためらいもなくとんでもないシロモノをつくっているときもある。
 彼らの生まれ育った、因習的な共同体社会で形成される「性格」のひとつなのだろうが、リーダーを育てにくい土壌でもある。
 バビ・グリンは、いつでもおいしいのがつくれる彼らなのに…。

 話をもどすと、かれらのこたえも先に書いたのとほぼ同じ内容だった。ひとつだけ、ああ、そう言えばそうだったと思い出させられた指摘があった。
「サンバルはおかずになる」

 そう、サンバルは肉や野菜のタレとしてだけではなく、ご飯の「おかず」にもなるのだ。ご飯にサンバルを混ぜ合わせて食べているシーンは、どこでもよく見かける。ぼくも、ごくごくたまにだがそうするときがある。それは「サンバル・マタ」と呼ばれる一品。絶品!と迷わず太鼓判を押してしまえるくらいだ。
 写真は、そのサンバル・マタをつくっているところ。材料は、チャベ、アカタマネギ、ニンニク、テラシ(醗酵させたエビのペースト)、塩それにピュア・ココナツオイル。これらを混ぜ合わせ細かく刻んでいる。たんに混ぜ合わせただけでもサンバルとして通用するが、刻めば味が均等になって食べやすくなる。材料には地域性もあり、上に書いたものにココナツシュガーを加えるところもあるそうだ。
 まな板としてつかっているのは、マメ科の常緑高木、タマリンドの木を輪切りにしたもので厚さは10cm前後ある。ごく一般的なまな板だ。
 かれらの包丁づかいがなかなかおもしろい。上から下に垂直におろしてまな板にあてる。豆腐を切る要領だ。トントントントン、と素早いリズミカルな音が響き耳に心地よい。
 ひとびとのおしゃべりする声とともに、この音がどこからともなく聞こえてくると「ああ、ウパチャラ(祭礼)の準備をしているんだな」と思う。
 バリの「音風景」として欠かせないもののひとつだ。
(つづく)