新聞に載っていたDGのこと

 10月初旬に二度激しい雨が降って以来、雨らしい雨がないまま乾いた雨季の季節がつづいている。乾季に逆戻りしたように、朝晩は涼しい。今朝も、起きがけにジャンパーを羽織った。
 いつものように新聞をひろげ、さっと見出しを追う。気候変動の記事も準特集扱いで載っていた。これはあとでゆっくり読もう、とページを繰ると大きな活字で「バリ出身のスターDG、警察に身柄を拘束される」という見出しが目に飛び込んできた。
 覚せい剤所持現行犯だった。先に捕まっていたDGの仲間の自供にもとづき待機していた警察官に自宅で逮捕されたという。覚せい剤はかれのバッグから発見された。
 DGとは、ローカル局バリTVのドラマやCMによく顔をだしている男優だ。背丈はそれほど高くはないがガッチリした体型、大きなつり目にやはり鼻も口も目立って大きい容貌は、けっして二枚目ではない。ひょうきんな憎めない役柄を演じているのがもっぱらで、少しだけかれを知っているぼくの目には、演技というよりも、これは地だよなあという印象がつよかった。
 少しだけ知っていた、と過去形で言うべきか、しかもかれがまだ中学・高校生のころだ。

 当時は、ウブッドの東南にあるプリアタン村に家を借りて住んでいた。それ以前、ウブッドのパダントゥガルにあるちいさなバンガロウの一室を長期で借りていたころ、近所に住む小学生のKが学校がひけるとバンガロウにやって来て、ほかの従業員に混じって掃除の手伝いをしていた。ぼくが、そのバンガロウをでて近くの借家に住むようになると、Kはぼくについてきた。やはり学校がすんでから、部屋の掃除をしてくれるのだ。「掃除小僧」とぼくは呼んでいた。
 そしてぼくがプリアタンに引っ越してからも、掃除小僧は自転車に乗ってやってきた。すでに中学2年生になっていた。みるみる背が伸びだしたのは母親の血を受け継いだのだろう、肌の色のとびぬけて黒いのも母親似だった。手足の長いひょろりとした体型は、それまでの「掃除小僧」のイメージから隔たりはじめていた。
 かわいそうだな、と思うときもあった。遊びたい盛りに、学費を稼ぐためとはいえ毎日やってきては決められたとおりに掃除をし、夕方ちかくに帰っていく。特別の支障がないかぎり、時間通りきちんとやって来た。だから、かれがからだを動かしながら大声で歌を歌っていようが、長い手足をもてあまし気味にたたんでしゃがみこみ、ボンヤリと庭を眺めているのも、隣家にある木彫りの作業場に入りびたって若い衆たちとおしゃべりしているのも、好きなようにさせていた。
 ある日、ぼくは用事があって外にでかけた。掃除小僧には合鍵をあずけていたので、ぼくが留守でも仕事はできる。それほど手間のかかる用事ではなかったので、まだ日が高いうちに家にもどった。門を入ると、なにやら台所のほうが賑やかだ。
 当時の家は、母屋と台所の棟が庭をはさんで分かれていた。台所は比較的広く、炊事だけではなく長椅子を置きそこでかんたんに食事ができるようになっている。バリ家屋に特徴的な台所のつくりだ。ひとり暮らしには楽でいい、と気に入っていた。
 その台所から、こどもたちの声がする。窓越しに、掃除小僧のほかに何人かこどもの姿が見えた。台所の戸をあけると、全員が驚いてこちらを見た。掃除小僧とほぼ同年の男の子が3人、それと同数の女の子が中にいた。立っているのもいれば並んで座っているのもいる。
 あ、デート中でしたか、どうも失礼しました! と戸を閉めて引き下がる状況では、もちろんない。掃除小僧を睨みつけてから、さてどうするかと迷った。バリのこどもたちを叱る「方法」が分からなかったからだ。頭ごなしにどなりつけるのはマズいというのは理解していても、じつはそのときぼくにできるのはこの「頭ごなしの叱声」しか思い浮かばなかった。これはひとに頼むしかないと思った。
 ぼくは黙ったまま台所をでると、隣人であり家主の娘婿でもあるWさんを探した。かれは事情をすぐに理解してくれ、さっそくまだ台所にいるこどもたちのもとへ行った。やがてWさんとともに台所からでてきたこどもたちは、ごめんなさい、と謝り帰っていった。
 その翌日、ひとりの少年が訪ねてきた。大きなつり上がった目、厚い唇と大きな鼻のその少年はひとなつっこい笑顔で「きのうはゴメン」と言った。言いながら、ぼくにタバコのパッケージをふたつ差しだした。
 おかしくなった。早熟さが、こんなしぐさにも現れているのが。ゴメンということばも、なんだか「いやあ、スマン、スマン」と言っているような調子だった。
 これが12年前のDGであった。

 その後数年して、ふたたび引っ越しをした。このときには掃除小僧はついて来なかった。かれの家からだいぶ遠くなってしまったからだ。この新しい住まいは、ネコの額ほどの庭しかなかった。それでも、近所の植木屋から花木を買ってきては植えたが、ことごとく枯れてしまう。土が悪かったのと、日当りがよくなかったせいだろう。
 あるとき近所を散歩した。いままで足を踏み入れたことのないあたりを歩いていて、大きな門構えの石屋にぶつかった。広々とした庭に、大小さまざまな天然石の彫刻が置いてあった。なかに入って、ぶらぶらと歩きながら石を見て回った。植物を植えても、なかなか育たない庭だから、石でも置いてみようかと考えながら眺めていた。さっそく、石屋の人間がやってきてぼくのあとをついてまわる。適当に値段を聞いてみるが、どれもこれも手軽に買えるような値段ではなかった。天然の石だから仕方ないといえばいえる。あきらめかけたそのとき、ぼくの名前を呼ぶ声がした。ふりむくと、あのDGが例のひとなつっこい笑顔で近づいてきた。
「ここ、オレんちなんだ」といってニコニコしている。タバコをもって謝りにきたときの少年の面影も薄く、もうすっかり大人びているが、まだ高校生ぐらいのはずだ。「彫刻がほしいの?」と聞かれた。「じゃあ、ちょっと待ってておフクロに話してくるから」と立ち去った。戻ってくると「好きなの選んでいいよ、安くしていいっておフクロ言ってるから」と嬉しそうに言う。では、おことばに甘えてと、それまでに見たなかで気に入っていた小振りの石像をふたつ指さした。値段は半額以下だった。
 ふたつともにDGが担いで、家まで運んでくれた。そのときに、どんな話をしたか記憶は消えてしまったが、いずれにしてもかれの成長ぶりに驚いたのを覚えている。物怖じしない態度に威勢のようなものまで付け加わり、「いっぱしの」何者かのごとき逞しさにあふれていた。
 最近になってブラウン管でかれの姿を見るようになり、それがDGだとすぐに気づいたのも、この最後に会ったときの印象が深く残っていたせいだろう。地の個性の強さが、そのまま芝居にあらわれている感じだった。

 今朝の新聞報道は、見出しが大きいわりには内容に乏しい記事だ。DGとの二度のめぐりあいを思い起こせば、かれがこの事件で潰れてしまうはずはないという確信がある。あのひとなつっこさ、大胆さ、親切さ、逞しさのどれをとってもかれの今後を暗くするはずもないと考えている。
 いま、かれはただ試練に立たされているのだろう。