三たび、憑衣する子どもたちの話

 今夜は満月だ。晴天がつづいているおかげで、きっと煌々とした月明かりに映える夜空になるだろう。バリの満月はうつくしい。地上の明かりが少ないぶんだけ、月の光の微妙な輝きがいたるところで観察できる、いや、楽しめるといったほうが適切か。
 先月の満月の日以来つづいている、バリ北部の中学校での子どもたちの憑衣現象は、今朝の新聞でも続報が掲載されていた。乗りかかった船(?)というわけでいちおう結着のつくところまで見つづけてみようか、と思う。
 再度、ローカル紙「バリ・ポスト」のいい加減さを指摘すると、じつは地名に誤植があった。「プチャッサリ/Pucaksari村」ではなく「プンチャッサリ/Puncaksari村」が正しい。地図をひろげ、この出来事の起きている村を探していて気づいたのだ。
 この村は、標高800〜1000m付近に位置している。この村から数キロ東側に、かつて日本軍が占領時に改修したと聞かされている道が、尾根に沿って走っている。この道沿いにも、家がぽつりぽつりと建っていて周辺では花卉栽培、おもに紫陽花の栽培が1年をとおしておこなわれている。この道を通るたびに、昼間はともかくも、夜ともなるとずいぶん静かで寂しいたたずまいを見せているのだろうと想像していた。
 地図で見ると、プンチャッサリ村はさらに奥の山間に入った村だ。乾燥したバリ北部のなかでも、まだ緑の多い地域にちがいない。水田よりは陸田、あるいは田んぼよりも、山の斜面の狭い土地で畑作をしている農家のほうが多いだろう。牛を飼い、豚を飼い、庭で鶏を放し飼いにしている光景が思い浮かぶ。
 さて今朝の記事だが、変化の兆しもないままいまだに子どもたちのクラウハン(憑衣)はつづいている、と報じている。このひと月、ほとんど授業ができないために、なかには転校していった子どももいるそうだ。期末考査を前にして、生徒・父兄ばかりではなく学校関係者にも不安がひろがっている。
 ブレレン市の教育庁からは、試験期間だけでも生徒たちを近くの高校で受けさせるよう指示がでている、という。
 一方、あるブラフマナ僧からは校長に、大規模なお祓いの儀式が必要だというアドバイスがもたらされた。
「費用が3600万ルピア(36万円)もかかるというのですが、そんなお金がいったいどこにあるというのですか」
 と、途方に暮れている校長の談話が載っていた。ちなみに、この地域のUMR(地域別最低賃金)は月7,000円に満たない。
 一般的な憑衣現象については、宗教人類学や民俗学、心理学などからのアプローチの方法はあるのだろうが、教育の現場での憑衣についてはたぶん教育学ですらとりあげるケースはまれだろう。校内暴力やいじめ、登校拒否といった事例ならばともかく。
 憑衣現象がバリでは、宗教儀礼や習俗の分野でときには啓示や託宣を得るための手段として「意識的に」つかわれている背景を思うと、学校での子どもたちの憑衣もまた、ひとつの意思表示の方法として「無意識的に」つかわれている、と考えることはできないだろうか。
 心霊現象に重要なメッセージを読みとるのとは逆に、あるメッセージを心霊現象として発現させるような心理的メカニズムとしてとらえられないか、ということだ。
 プンチャッサリ村にあるこの学校の子どもたちに、もし日本の子どものように明確になにかを拒絶するだけの「主体性」があるならば、この憑衣する子どもたちは別の行動をとっていたのではないだろうか、という気がする。
 暴言に近い結論をいえば、この憑衣する子どもや潜在的可能性をもった子どもたちにとって、学校などというのは行かなくてもいいところなのだ、と思う。
じぶんたちの生活とは将来にわたって無縁のカリキュラム、規律と管理を本質とするシステム、画一化と集団行動の強制など、要するに学校とは、近代が生んだ、子どもにとっての監獄なのだから。
 と、じつは、この憑衣する子どもたちと同じ年頃に、軽〜い登校拒否を経験しているぼくには、そういう方向からこの一件を眺めるのがいちばん理解しやすいのである。