隣人たち 1

 いま住んでいる土地を15年契約で借り工房を建てたのが、2003年12月の終わりだった。翌年の2月には、簡素な家も建て住みはじめた。バリに来て6回目の引っ越しであり、つつがなく過ぎるならあと9年はここに腰を据えているはずだ。
 隣のレストランは2001年にはすでに営業していたので、かれらにとっては、新たな隣人としてぼくが登場したことになる。それ以前から、このレストランにはときどき来る機会があった。ここにはプールがあり、誰でも安い使用料さえ払えば利用できたのだ。飲食を注文すれば、プールは無料になった。
 友人のSさんと、日曜日になるとときどきここに泳ぎにきていた。ビールとピザを注文して、泳いだりプールサイドでくつろいだりしながら午後の2、3時間を過ごしていた。たまたまSさんは皮膚が過敏で、プールからあがると下半身一面に紅い湿疹がひろがるようになった。そんなことが重なったので、やがてここのプールには来なくなってしまったのだが。
 当時を思い出しても、やはりこのレストランはやかましかった、と思う。
 ぼくらがプールサイドのデッキチェアに腰をおろすかおろさないうちに、とつぜんテープ音楽をバカでかい音量で流しはじめるのだ。
 しかも、カントリー&ウェスタン! 
 ほかに客がいなければ(じっさいほとんどいなかったのだが)、すぐにウェイターにテープを止めてくれるように頼んだ。かれらとしてはサービスのつもりなのだろうが、ぼくらに言わせれば、はなはだしい勘違いなのである。
 木の葉のそよぐ微かな音や野鳥のさえずり、目の前にひろがるライステラスとそれを囲む椰子の木立ち、まばゆい陽射しと白い雲、のどかな風景がゆっくりと流れる時間とともにぼくらをつつみこんでいる。意識がからだの境目をぬけだしていくような心地よさ。
 そこにカントリー&ウェスタンはないだろう。
 隣人として住むようになってからも、この「カントリー&ウェスタン問題」には悩まされた。客がいようがいまいがお構いなしに、朝から大音量で音楽をかけている。明けても暮れてもカントリー&ウェスタンなのだ。そのうちにテープがすり切れるに決まっているのだが、テープがすり切れる前にぼくの堪忍袋の緒が切れた。
 とはいっても、バリでは決して怒りをあらわにしてはいけない。怒鳴り込むなどもってのほか。頬をピクピクさせてもやはりマズい、と思う。お天気の話でもするようにさりげなく、もしそれが難しければ、じぶんの好物の食べ物かなにかをこころに思い浮かべ、気持ちが緩んだところでおもむろに話を切りだすのが最初のステップなのである。
 これはワザだ。
 じぶんの狙いを相手に納得させようとするなら、なおのこと必須のテクニックなのだ。もちろん、必ずしも成功を保証するものではないけれど。
 幸い、このときのマネージャーとの話し合いは円滑にすすんだ。客がいるときに限り、音楽をかけるというものだ。ついでにボリュームを小さくしてほしいという希望も叶えられた。しめしめ。
 もっともこの約束が徹底して守られるようになるまでには、それから数カ月はかかった。スタッフのなかには、つい忘れてしまってなのか約束そのものを知らなかったのか、いきなり大音量でラジオをつけるものがいた。
 そのつど、倦まずたゆまずぼくは隣に足をはこび「音、小さくしてネ」と頼みつづけたわけだ。
 おかげでカントリー&ウェスタンはとっくに消滅して、いまはスンダ音楽がときおりかすかに聞こえてくるくらいになった。

 隣のレストランの話がつづくのは、とくに隠れた深い意味があるわけではない。記憶の新しいところから話を起こして、バリニーズを隣人にもつことの意味を考えてみたいからに過ぎない。
 それに、隣人としてはこのレストランのマネージャーもスタッフも、いままでぼくの経験してきたなかでもいちばん付き合いが楽なのだ。なによりも、話が通じる。
 この3年ほどでだいぶ客足も増えてきたが、以前はほんとうにヒマそうだった。だいじょうぶなのかな、と端(はた)で心配してしまうほどヒマそうに見えた。小人閑居してなんとやら、ではないが、その頃は、決まって夕方になるとマネージャー以下スタッフが歓声をあげながら、見晴らしのいい二階で、空気銃を撃ちはじめるのだった。
 野バトを狙っているのだ。丸焼きにするために。まさか客に食わせるためではないだろうが、この野バト狩りはとうとう毎夕のイベントとなってしまった。
 あろうことか、ウチの庭の木にとまっている野バトまでが標的になった。いくらなんでも、それはないだろ、と再びマネージャーと掛け合う準備をした。
 この一帯は、野鳥が豊富にいる。色とりどりの大小の野鳥がやってきては朝夕、うつくしい囀りを聞かせてくれる。かなりの至近距離で、鮮やかな羽の色をめでることさえできる。ここに移って初めて知った楽しみのひとつでもある。
 レストランに赴き、ぼくはマネージャーに言った。
「ツーリストがこのレストランに来て、なにがいちばん嬉しいかわかる? 自然がまだたっぷりと残されているこの眺めのうつくしさや風の気持ちよさ、それに鳥の声がこんなにたくさん聞こえてくる場所で食事ができるのを楽しんでいるんだよ。きみたちが、そうやって毎日空気銃を撃っていたら、野鳥はもうこのあたりへは来なくなってしまうんだよ。ツーリストだって来なくなるよ」
 その日から、空気銃の音はパタリとやんだ。
 
 パタリとやまないときもある。
 とある夜明け、トタン板を金槌でガンガン叩く音で目が覚めた。時計を見るとまだ4時半だ。
 数日前から隣は屋根の補修工事をしていて、昨夜も10時頃までトタンを打つ金属音が響いていた。
 一番鶏もまだ鳴きそうもないこんな時間になにごとかと、ベッドから起きだしサンダルをひっかけて隣まで行った。入り口にたどりつくと、中から夜警の男が顔をだした。
「うるさくて眠っていられない」と言うと、
「オラン・ジャワ(ジャワ人)」と言いながら、作業している方角を顎で指した。そして「クルジャ(仕事)」とつけ加えた。
 バリニーズがときどきつかう、このブツ切れインドネシア語というのは、こちらとしては申し訳ないがコミュニケーションの意欲を一気にそがれる。それで用が足りると思ってるのかっ、このたわけモン! 
 鼓膜に唐辛子でもぶち撒かれたような金属音を夜も明けないうちから響かせて、隣人が起きだして苦情を言いにきたというのに、「ジャワ人」「仕事」の二語しか発することをしないこの不誠実さとしらじらしさ。
 誰も「ジャワ人が仕事をしている」というホーコクを寝ぼけ眼(まなこ)で聞きにきたわけではない。狡猾な逃げのテをつかって、意識的に謝ることをしない典型的なタイプ。これでは話にならないし、まともに話す相手でもない。
 寝不足のうえに、こんなご仁を相手にして疲れるのはまっぴらごめんだ。ぼくはさっさと家に戻った。
 トタンを打つとげとげしい騒音は、その日はけっきょく昼までつづいた。