隣人たち 2

 ここに住みはじめた2004年初めには、隣人といえば先に書いたレストラン(南側)と、東のはずれ、道をはさんだ場所にバリニーズの一家が、そして、ウチからみれば裏にあたる西側には、アメリカのチェーン家具店ピア・ワン/Pier 1 に卸す雑貨を製造しているSという工場があるだけであった。
 北側はいまも、見渡すかぎり田んぼがひろがっている。
 グーグルマップで Mas Ubud Bali と検索してあらわれる画像から、当時の様子がよくわかる。アップデイトされていないかぎり、マップに見える光景は2004年当時のものである。田園地帯に、この4つの建物だけが写っている。
 隣人といっても、東側に住むK一家とは工房からの直線距離は20mぐらい、ぼくの自宅からは40m近くも離れているので、姿をみかけることはあっても顔をあわせる機会はめったにない。
 2003年の後半に工房を建てはじめたときに、かれらも家を建てはじめるところだった。しかも、主人のKとは‘95年以来の知己で「ご近所さん」になった偶然に驚いた。かれはおもにツーリスト相手の個人タクシーを生業にしていて、95,96年頃にはぼくもよく利用したものだった。
 工房の建築がほぼ終わり、あとは電気を引くだけとなった時期にぼくは新しいビザの取得のためにバンコクへでかけた。あとのことは建築を請け負っている頭領に託してバリを立った。
 もどるとすぐに、作業はすべて完了したという連絡を頭領から受け、ぼくは工房の建築現場に急いだ。これでようやく仕事が再開できると期待した。
 しかし、現場に着き、敷設された電線を見てびっくりした。まず南側の道路沿いに立てられた2本の電柱に架けわたした電線が、まるで縄跳び遊びの縄のようにたるんでいる。さらに愕然としたのは、工房わきの電柱から引き延ばされた電線が工房の茅葺き屋根に接して渡され、さらに北東の、ぼくが「おじいさんの木」と名づけた巨木にまきつけられてKの家まで延びているのだ。
 これはどういう了見なのか、頭領に問いただすと、
「Kが電気敷設の申請に行って、そこで描いた図面にしたがって作業工事がおこなわれたんです」
 またもやただのホーコクである! ぼくは、この頭領に後事を託したのであって、Kに頼んだ覚えはない。頭領のいままでの仕事ぶりからすると、こういう失態は起きないはずだ。かれは明らかに手を抜いたのだ。おそらく架線作業には立ち会ってもいなかっただろう。
「電線が風にゆれつづけて屋根と擦(こす)れあっていれば、そのうち皮膜が切れて漏電するね? 木が倒れたら、電線は切れるのと違う?」
 なに考えてんだ、このアホども! とは内心のつぶやき。
 そもそも、なぜ他人の家の電線が目障りにもウチを通過していくのか?
 ここで説明が必要だが、インドネシアでは電柱であれ電話の架線柱であれ、既設線から個人宅への引き込みはすべて受益者負担となる。電柱も電線も架線費用もすべて負担させられる。公共事業とは名ばかりだ。
 だから電柱を買う金を惜しめば、おのずと電線を木にひっかけたり他人の敷地内の何かにからませたりしながら電気を引くことになる。
 Kはそのテをつかったわけである。ひとことの断りもなく。
 ぼくは直接、Kとかけあった。
「電柱代の20万ルピアを払ってくれ」
 というのが、この男の返事だった。他人の足を踏みつけ「はずしてほしけりゃ、金払え」と要求するのとなんら変わらない。Kの家に電気を引くための電柱代を、迷惑をこうむっているぼくが負担する…。
 じつはこの「論理」は、いろいろな場面で遭遇する。一例をあげれば、外国人が巻き込まれる交通事故だ。かれらの運転する車にバイクが勝手にぶつかってきて、あげく治療費やバイクの修理代を払わされた話は、知人からよく聞いている。これはいわゆる「当たり屋」に出くわしたわけではなく、一般的な事故で起きる二重の災難なのである。
 ぼくも一度だけ、これに似た状況に直面したことがある。知りあいのバリニーズの運転する車に同乗していたとき、あるカーブで車線をはみだしてバイクが正面から衝突してきた。運がよかったのは、車もバイクもスピードを落としていたのと、バイクの青年がきわどいところでハンドルを左にきったので、大事にはいたらなかった。
 車から降りると、周囲にいた住民たちがぼくの姿を見るなり、口々に「金をもらえ、金をもらえ」とバイクの青年にむかって叫んでいる。しかし幸いだったのは、この青年がまわりの連中とは別種のふつうの良識をそなえた人物だった点だ。さほどの怪我もなく、接触のさいの車の傷もないのを互いに確かめ、それぞれその場を離れた。もしドライバーがバリニーズでなかったら、という憶測はこの際やめておこう。
 さて、Kの理不尽な言い分だが、これは無念の極みだが受け入れるしかない。すでに8年のバリ滞在になるこの頃には、ぼくの心情としては「泣く子とバリ人には勝てない」と、かつての封建時代の貧しい農民と同じ嘆きを、じぶんの置かれている現実につねにあてはめる”習慣”が身についていたのだから。
 そして、もうひとつの理由は飼っている犬たちを守るためだ。犬が仕返しを受けたり八つ当たりされて殺される例はよくあるが、ぼくの飼っている犬のなかでも、この土地に移ってくる前に、すでに最年長の犬は空気銃で脚を撃たれたり鎌で背中を突かれたりしてきた。
 犬への逆恨みを避けるために、ぼくはいまでもある種の場面では言うべきことを飲みこみ、沈黙に徹している。
 事実、犬とともにここに移転してきてからわかったのは、このKという男はことのほかウチの犬たちに攻撃的なのだ。道路から、ウチの敷地内にいる犬に向かって石を投げているのを見たのは一度や二度ではない。投げつけられた石が、紙の材料を入れてあるバケツに当たり、バケツが割れてしまうほどの力の込めようなのだからあきれてしまう。
 電信柱を“プレゼント”してさえこうなのだから、あのときぼくがかれの恥知らずの言い分を拒んでいたらどうなっていたやら。
 犬には決して暴行をくわえてはならない。犬は、暴行をくわえた人間を絶対に忘れないし、覚えているかぎりその人間にむかって吠えまくる。かくして、ウチの犬たちとKとのあいだに果てしなきバトルが始まってしまったわけだ。
 やれやれ、である。

 それにしてもこの男、よほど電信柱に飢(かつ)えているのか、2年前に電気事業局がコンクリートの新しい電柱をとりつけたとき、ウチの西角の道端にあった古い電柱を引き抜き持ち去ってしまった。じぶんの家でつかっているのである。ぼくが取りつけた街灯もろともである!
 だからいまは、夜、外出先からもどるとぼくは真っ暗な道を歩いて家にたどりつくことになっている。