家を建てる

 昔から、家を建てるつもりはなかった。バリにかぎらず、どこにも家など建てるつもりも、欲しいとも思わなかった。
 理想はカタツムリの殻なのだ。それが無理だから、レンタル・ハウスをバッタのように転々としていたわけだが、ここに至って(というのは5年前の話だが)やむを得ず家を建てるハメになった。
 最後のレンタル・ハウスはプリアタンのタガスである。2004年が明けてまもなく、賃貸契約を延長したいと家主に話したところ、
「いやあ、ウチも家族がふえてきて、そろそろここに住もうと思っているんだ」
 という返事が返ってきた。「ここ」というのは、ぼくの借りている家だ。
 かれは長男だから、いずれ親の家を出なければならない。そのために、まだ若いうちから持ち家を準備していて、それをたまたまぼくに貸していたわけである。奥さんとこどもふたりと共に両親の家に同居しているのだが、遠くで働いていた弟が家にもどってきた。やがては、嫁をもらうだろう。実家はますます手狭になるわけで、すでに家を持っているかれら一家がここに移るのは当然の成りゆきだ。
 じゅうぶん納得のいく話だった。ここまでは、である。
「ついては、家族ともども引っ越してきたいんだが、しばらく一緒に住むことになるけど…」
 ナ、ナ、ナニ !? 一緒に住む?
 かれとの賃貸契約は来る2月25日で切れる。ところが、かれいわく「引っ越しをして良い日」は2月18日で、それを過ぎると1か月先までないのだ。だから、契約の切れる1週間前から、ぼくと同居するというのがかれの言っている内容だった。
 すこし話を補わないと理解しにくいかもしれない。
 バリ固有のカレンダーにウク暦がある。これは210日をもって「1年」とする。じっさいには、このウク暦による年数の表示はないから、1年というよりは1サイクルと考えるほうが実情にあっている。
 このウク暦のカレンダーには、「ハリ・バイク」が掲げられているのだが、これはあえて日本風にいえば「吉日」ということになる。
 たとえばカレンダーには、この「ハリ・バイク」が農業、畜産業などの生業、家の建築や儀式などの項目別に、この日には田んぼに苗を植えると良いとか、この日には釣りの道具をつくると良いなどとかなり具体的に書かれているのだ。
 家主の言う、引っ越しのための「ハリ・バイク」もカレンダーに載っていて、特定の日にかぎられている。都合がついたから引っ越しするのではなく、あくまでもハリ・バイクに合わせて動くわけだ。
 それはまあ、かれらの習慣としてはわかる。しかしわかったからといって、じゃあ、一緒に住もうよ、という具合にいくわけがない。
 つぎのハリ・バイクまでの1か月も待てない、という切羽詰まった申し出、というか一方的な最後通牒なのである。
 しかたない、急いで転居先を探すしかない、とあきらめた。
 当時は、すでにマス村にできた新しい工房も稼働していて、ぼくはこのタガスから犬のチェリーをバイクに乗せて通っていた。わずか10分ほどの道のりだ。
借家を選ぶとすれば、工房のあるマス村でと考えた。
 当時のウブッドのレンタル・ハウスは、‘97年以降の通貨危機を反映して軒並み値上がりしていた。法外な、といっていいほど物件評価と見合わないくらいに賃貸料は高かった。その隙間を縫うようにして、ぼくは、適正価格の借家を探しつづけてきたのだが、そういう点では、タガスのレンタル・ハウスの価格はウブッドの動向とは無縁だったし、家主も拝金主義に毒されてはいなかった。
 マス周辺で借家を、と知り合いをとおして何か所か見て回った。この地域はウブッドとは異なり、外国人を対象にしたレンタル・ハウスも一般の借家もほとんどなかった。
 弱った。ウブッドに住む気はさらさらなかった。
 けっきょく窮余の策で家を建てることにした。夢を託してとか理想の住まいを求めてとかいうのではなく、あくまでも窮余の策、いわば緊急避難的な処置として家を建てようと決めたのである。
 だから、頭領にも、
「いいかい、この土地の契約が終わって、ぼくが家を出たその途端に、ガラガラガラとぶっ壊れる家をつくるんだよ」
 と、妙な注文をつけた。さらに、最低の費用と最短の時間がかれに課せられたもうひとつの注文だ。
 工期はたった2週間。タガスの家主が引っ越してくる前日の2月17日には完成していなければならない。この日が、ぼくのいわば「ハリ・バイク」だ。
 この日をターゲットに普請がはじまった。
 傑作だったのは「大回転屋根移動作戦!」だ...じぶんで書いていてアホみたいに思うがつづける。
 工房を建てると同時に、スタッフの休憩所というのもつくっていた。この休憩所はいまの自宅の位置にあったのだが、構造はいたって簡単で敷石の床があってその上に片屋根があるけど壁はない、というだけのもの。いちおう、ちいさな台所風一角というのもあった。
 住まいを、この休憩所を核にしてつくったのだ。ところが、この休憩所の片屋根の傾斜は、西日をよけて西側に傾いている。これが6本の太い竹の柱で支えられていた。しかしこれから建造する住まいとしては、これは東に傾いていなければ都合が悪い。
 そこで、大工さんとぼくのスタッフ総勢十数人で、6本の柱ごと屋根を持ち上げぐるりと180度回転移動させるという、前代未聞の大ワザがはじまったのだ。
 ちょうどこの日は、雨季特有の大風が吹いていた。柱をつかんだまま飛ばされてしまうんじゃないかとハラハラした。人海作戦とはいえ、この強風で全員の動きがもろに影響を受けている。安定しないわけだ。風の強弱にあわせ、ゆるりゆるりと移動しながら、つねにかけ声をかけあって作業はつづいた。
 強い風は、フワリと屋根をもちあげようとする。そのたびにスタッフや大工さんから「おおっ!」という声がもれる。ケガ人さえでなければ、屋根が飛んで壊れてしまってもしかたないだろうと思いながら、作業を注視していた。いざというときには、ストップをかけるつもりでもいた。
 しかし、かれらは風よりも強く賢かった!
 6本の柱が、床に開いた6個の穴にうまくおさまったときには、全員が歓声をあげ、拍手までわき起こった。
 こうして、工事の第一日目が無事に過ぎたのである。