マス村に引っ越す

 引っ越しは、じつは好きなのである。前後の、あの煩雑な作業や新規の手続きの面倒くささを考えても、やはりこころは浮き立つ。たぶん、リセットの感覚が心身を活性化させるからに違いない。
 ただ、ぼくの場合(ひとに尋ねたこともないので、ぼくだけの「場合」なのかどうかは不明だが)、引っ越しの際にとても恥ずかしく感じるひとときがある。じぶんの持ち物をトラックに積んでいるときと降ろすときだ。たくさんあればあるほど、恥ずかしい。梱包されていようがいまいが、やはり気恥ずかしい。ひとが見ていようといまいと同じだ。
 持ち物がみすぼらしいとか、古ぼけているからといった理由ではない。仮に豪華な美術品のような引っ越し荷物だとしても、感じる恥ずかしさに変わりはない、と分かっている。
 バリでは、最初のうちはずいぶん楽な引っ越しですんでいた。家具付きの部屋や家を借りていたからだが、そのうちにじょじょに持ち物が増えてきて、タガスからマス村に引っ越すときには、久しぶりに「引っ越しの折の恥ずかしさ」を感じてしまったものだった。
 2004年2月の引っ越しのハリ・バイク(吉日)は18日だったが、前に書いたような事情から、ぼくは前日の17日にこの土地に引っ越してきた。だから、前の日まで、大工さんたちは連日、大車輪で夜遅くまで仕事をしてくれた。
 当初の計画通り、きっかり2週間で家ができあがった。それでぼくは、この家を“Two Weeks House” と名づけた。しばらくしてからは“ブーフーウーの家”とも呼んでいた。家を構成している素材は藁(茅)と木とレンガであるし、体裁もまた、なんとなくあの三匹の子豚たちがつくった家と似て素朴な趣(おもむき)だからだ。
 訪ねてみえる初対面の方から「いい家ですね」などとお世辞を言われると、「いやいや、ブーフーウーの家なんですよ」と答えたりするが、意外と『三匹の子豚』の童話を知らないひとが多いのに驚く。「えっ、なんですか、それ?」と聞き返されたりしても、いまさら大のおとなに童話を語る気もないのだが。
 これが、ときには「ノアの方舟」ともなる。
 先日ぐうぜん、映画『2012』を観る機会があったが、ぼくには後味の悪いものだった。考えてみれば、『創世記』の「ノアの方舟」そのものが“選別思想”というべきものを背景にしているわけで、それを踏襲しているだけなのだろう。こどもの頃は、「ノアの方舟」の物語にはドキドキさせられながらも、オリーブの葉をくわえて方舟に戻ってきた鳩に救いを感じたものだったし、なによりも、挿絵に描かれた、方舟を縦に割った断面の絵の中の、仕切られた部屋のひとつひとつに番(つがい)になった動物たちが仲良く並んでいる様子にわくわくしたものだ。象もいるキリンもいる山羊もいる、鳥もいるし蛇もいる。「動物たちのアパート」のように見えるのが楽しくて見飽きなかった。
 映画『2012』にはみじんのロマンもない。人類が生き延びなければならない積極的な理由が、本当は見当たらないからなのだろうか?
 もっとも、この映画にしても“The Day After Tomorrow” にしても、特撮が命の映画だからぼくらはスペクタクルを楽しめば、それでいいのだ。インドネシアではイスラム教団体の激しい抗議にあって、上映が禁止されているのも解せない話である。
 さて、ウチの「ノアの方舟」。
 ウチの場合は、全員参加型の「ノアの方舟」だから、落ちこぼれはない。しかし状況は、じつに深刻だ。
 引っ越してきた日は、午後遅くから激しい雨が降りはじめた。荷物はすべて屋内に入れたので濡れる心配はなかったが、豪雨は夜までつづいた。
 ぼくの記憶では、この年から雨季の様相が大きく変わったように思う。それまでの雨季の雨は熱帯特有のスコールで、1、2時間すさまじい雨に見舞われるが、そのあとはカラッと晴れあがった青空がひろがり、濡れた木々の緑が、ふたたび差しこんできた陽射しに鮮やかに映えた。
 しかしこの年に始まった雨季の雨は、まるで台風のように強い風をともない降っている時間も長くなった。ときには、日本の梅雨空のようにどんよりと曇る日がつづくかと思えば、毎日のように台風に襲われているかのような日がつづく。しかも、しばしば雷をともなうのだ。
 マスに借りたこの土地は、7段の棚田の跡地である。いちばん高い西側から3段下がった所に「ブーフーウーの家」が、5段目に工房と物置小屋がある。そして西側の最初の段の外側に、道を挟んで小川が流れているのだが、豪雨のときには必ずこの川が暴れ川となり溢れた水が道を越えてこの土地に流れこんでくるのだった。
 ある意味では壮観だ。滝のように降る雨は視界をさえぎってしまう。そして、西側の高い段から増水した川の水が押し寄せてくるのだ。段差は1メートル前後あるが、そこを滝のように水が落ちてつぎの段を流れ再び落ちてと繰り返し、約千坪の土地を東のはずれまで川のように流れていく。
 ラフティングでもできそうな光景である。
 犬もネコも鳥も、みんな家の中でなりをひそめるといった感じでいる。とくに、雷鳴が轟くときには、犬たちのなかの何匹かは音に怯えて落ち着きなく部屋の中を動きまわり、やがてぼくのそばを離れなくなる。豪雨が瓦屋根をたたく音はやまず、稲妻が走るとすぐに雷鳴が地響きをたてて空気を裂く。ぼくだって内心怖くてしかたないのだが、怯えた犬をしばらく抱きながら胸を撫でてあげるしかない。ノアとかれの家族は方舟のなかの動物たちに、こんなこともしてあげていたのだろうか?
 引っ越してきた日も、似たようなありさまだった。そしてじぶんの迂闊さをつくづくと知った。家ができたといっても、壁のレンガや床タイルのつなぎのセメントはまだ生乾きだったのだ! 雨季のあいだの建築だから、なおさら乾くのが遅い。そこにこの大雨である。部屋のなかに置いた荷物がみるみるうちに湿気を帯びて「変形」していくのが見てとれるのだ。段ボールはそろってヘナヘナになっていく。知人の版画作品は、またたく間に波をうってゆがんでしまった。何冊もの本が同様に波をうって曲がっている。ベッドのシーツと上掛けは、まるで生乾きの洗濯物のようになった。翌朝にはPCがまったく作動しないのもわかった…。

 一昨日、2か月ぶりにこの地域に雨が降った。激しい雨と風が木の枝を折り、雷鳴が頭上に鳴り響く。ずぶ濡れになったネコが家に飛び込んで来て、犬はオロオロとぼくのまわりを動きまわる。
 遅い雨季がいよいよ始まったようだ。今年は、はたして何回、洪水に見舞われるのだろうか?