続・家を建てる

 緊急避難の意味合いで家を建てるのは、いうなれば仮の宿を求めるのに等しい。だから「設計思想」(仮の宿であっても、設計思想はあるのだ、これが)はきわめてシンプルで、一にも二にも「雨風をしのぐ」という文字通り緊急避難的な発想から出発している。
 譬(たと)えに挙げるのもおこがましいが、『方丈記』の鴨長明の発想だ。そして、かれは、若いときからぼくの理想の日本人のひとりでもあった。
「方丈」とは一辺が3メートルの正方形をあらわすのだが、残念ながら、ぼくの部屋はこのサイズをわずかに超えてしまった。また、’01年以来、住み込みで働いていた丁稚のMの部屋もつくる必要があったのだが、結果としては、かれの部屋の広さが、鴨さんのお宅とほぼ同じになった。
 部屋のサイズは、当時ぼくが持っていたベッドや机や本棚などの家具が収納できるスペースを目標にした。それらの周辺を、粗忽なぼくがぶつからない程度に歩ければよし、と。
 だから、まず、せっせとそれらガラクタの寸法を測り、おおよその配置を考慮して、なおかつ移動のスペースをくわえた結果、4メートル×3メートルの広さの部屋をつくるように頭領に指示した。前からあった休憩所スペースに接するようにして、丁稚の部屋と並べてふたつの箱をつくるのが、わが仮の宿の基本だ。
 大工さんたちは、ジャワの東端バニュワンギ出身のひとたちだった。かれらの様子を見ていると、まず頭株の熟練者がひとり、それを補佐する中堅どころがひとりかふたり、まだまだこれからだなと思わせる若者がひとりに「箸にも棒にもかからない」のがひとり、といった構成である。
 ジャワは、バリ以上に失業率の高いところだから、リーダー格の人間が、経験もないじぶんの息子や親戚の若者などを引き連れ、バリまで出稼ぎに来ているのが多い。だから、「箸にも棒にもかからない」ような若者が、こうした一団のなかには必ずふくまれている。下働きとして、こねあげたセメントを運んだりレンガを運んだりと、もっぱら単純重労働に就かせられているのだ。
 それにしても、かれらはよく働いてくれた。朝8時から夜になるまで、雨が降ろうが晴れようが、惜しみなく仕事をしてくれた。ラストスパートとともいえる数日間は、毎晩10時過ぎまでがんばってくれたのだ。

 家の普請が終わるまでは、工房での仕事がすめばあいかわらずタガスの家に帰った。この頃は、仕事をしていても頭領が相談にくれば、建築現場で直接指示をだしたりしていたのでかなり忙しく、また疲れてもいた。
 タガスの家にもどると、バタリとベッドに倒れこみしばらくうたた寝をする毎日だった。
 ある日、家にもどると、家主がふたりの子どもと一緒にテラスの床に腰かけて、すっかりくつろいでいる。合鍵を持っているので、それをつかって門を開けて入ってきたのだろうが、びっくりした。いままで、こんなことはなかったからだ。濡れた髪や、すがすがしい顔つきをしているかれらの様子からすると、どうやらウチの浴室をつかってマンディ(水浴)までしていたらしい。
 ちょうどそのとき、台所から家主の女房がコーヒーをもって出てきた。ぼくにではない、旦那のためにである。それも、よく見ればぼくのカップである。
 そういえば何日か前に、「荷物を運びたいので、部屋をひとつ空けてくれ」と言われていたのを思い出した。こちらも、引っ越しのために荷物を整理しなければならないので、4つある部屋のなかでいちばん整理しやすい部屋の荷物を片づけ、空けておいたのだ。
 荷物をきょう運んだのだな、と思いながらその部屋をチラッとのぞくと確かにキングサイズの新品のベッドに、真新しい寝具が積まれていた。
 引っ越しのハリ・バイク(吉日)はまだ先なのに、荷物は運んでもいいのかねえ、と思うのだが、どうやら構わないらしい。ここらへんはフレキシブルで実際的なバリニーズらしい考え方だ。

 話はとぶが、この9月に工房南側の庇屋根を修理した。雨季の到来を前に、だいぶ傷んだ庇屋根を全部新しい瓦に替えたのだ。このときの大工は、ぼくのスタッフの舅にあたる人物で、仕事ぶりはジャワの大工さんとは大違い。見ていて、ちっとも小気味よくないのだ。
 この屋根修理の折に、こんなことがあった。きょうはもうここまで、明日、瓦を取りつけるからと大工はさっさと帰り支度をはじめた。朝はいつも遅れて来るのに帰るとなると一目散だからな、とあきれているとスタッフのひとりが、
「明日は、×××の日だから瓦は取りつけられないよ」
 と大工に告げた。これは、ハリ・バイクとは反対に、あることをしてはいけない日、という意味だから「禁忌日」とでも言えようか。
 大工はハッとして、そうか、とつぶやいた。そして相棒とともに、じゃあやっておくか、といった風にふたたび屋根にのぼって最初の瓦を置きはじめた。
 こうして、縦に一列、二列と、20枚ほどの瓦を取りつけると下に降りた。きょう、少しでも瓦を載せておけば明日も継続できるらしい。要するに、明日から始めてはいけないが、きょうの続きとなれば構わないのだそうだ。
 フレキシブルといえばいえるし、屁理屈といえなくもない。

 タガスの家主の話にもどると、要は、引っ越しといってもハリ・バイクが関係するのは人間そのものの移動であって、引っ越し荷物は関係ないということなのだろう。それで、新たに買ったものをさっそく運び入れたに違いない。
 かれらをテラスに残したまま、ぼくは部屋にひきあげベッドに横になった。しばらくたっても、どうもかれらは帰りそうもない。まさか、きょうから一緒に住むなんて言いだすんじゃないだろうな、と本気で心配になってきた。
 Mを呼んで「どうなってるの、かれらは?」と聞くと、「バパッに話があるそうですよ」と言う。しかたなく、ふたたびテラスにむかった。
 開口いちばん、かれが言った。
「じつは、ちょっと金を貸してほしいんだけど。引っ越しの際のムチャルゥ(お祓いの儀式)の費用がなくて…」
 一瞬のうちに頭に血がのぼった。契約不履行、部屋の明け渡し、勝手にあがりこんで他人の私物をつかう、贅沢な買い物をしたあげく財布が空になったからといって、金を無心する… このときばかりは、抑えがきかず大声で怒鳴り返してしまった。疲れていたせいもあるが、怒りに抑制がきかなかったのは、後にも先にもこのときが初めてだった。
 けっきょく、引っ越しの日にもかれには挨拶せず、部屋の鍵は鍵穴に差し込んだままタガスの家を出た。忸怩(じくじ)たる思いがなかったわけではないが、それではお元気で、と声をかけられるほどこころが穏やかになったわけでもなかった。
 かれも、とうとう姿を見せなかった。