今日という一日

 昼寝もできないくらいの暑さがつづいているが、きょうはいささか疲れていたので久しぶりに午睡のひとときを味わえた。
 3週間ほど前からつくりはじめているウォールペーパーの仕上げと、先週の土曜日に香港から来たカナダ人デザイナーSとの共同作業が始まったので、目いっぱい工房で一日を過ごした。
 ウォールペーパーはジャカルタに送るものだが、サイズが2.8m×2.6m、7段のストライプはウコンから抽出した染料をつかい、刷毛でなんども繰り返し塗り重ねていくのが作業工程である。ウコンの染料は自家製だが、あらかじめ3段階ぐらいの濃度差のものを準備し、重ね塗りの回数を調整しながらこれでOK、と思えるところまで作業をつづけていく。
 写真は、フィニッシュの数歩手前の段階で、コントラストや塗りのコンディションをチェックしながら写したもの。

 あらかじめ紙にドウサを引いたので、ストライプの接する部分がクリアなラインになったが、いまだにこれでよかったのか、もっと滲ませたほうがベターだったのか、と迷っている。
 ジャカルタのクライアントは、これをガラスで挟み背後から光をあてるそうだ。
 Sとのコラボレーションは昨年の夏に始まり、ようやく第一号の照明器具がこの秋に完成し、今回かれがわざわざバリまでやってきたのは、第二号の照明器具のプロトタイプから完成品をつくるのが目的だ。
 こうして、デザイナーに密着されて(?)仕事を進められるのは、ぼくにとっても非常にありがたいことなのである。イメージというのは、描かれた図面からはなかなか伝わりにくいこともある。なにをうつくしいと感じるか、その共通の接点を求めるためにも、ことばによるコミュニケーションは絶対的ではないにしても、やはり欠かせない要素である。
 デザイナーはイメージから生まれた“かたち”を重要視する。それは当然だ。しかし、制作の現場は、その“かたち”を実現するためのノウハウを考える。ひとつの“かたち”を造形化するためには、このふたつの方向からのアプローチが必要になってくるのだ。
 だから、Sのように、現場に赴き、そこではなにができてなにができないのかをじぶんの目で確かめようとする姿勢を、ぼくは高く評価する。
 うえに挙げたもののほかに別のクライアントから新しいテクスチュアーの紙の依頼や、デザインはすでに決まっているが、ディテールについて提案を求められている照明器具の依頼などが重なっている。新しい紙の依頼に関しては、やはり今日からサンプルをつくり始めた。
 そして、スタッフは9月以来、サイズが2.1m×1.5m、総計250枚のある特殊な紙を延々とつくりつづけている。これは、ジョグジャカルタでの建築プロジェクトにつかわれる予定のものだが、いまだに正式のゴーサインが出ないという、危なっかしいシロモノだ。 
 すごく忙しいのである。
 この忙しいときに、きょうは、道路の修復やリビングと浴室の屋根の修理などの指示が重なって、てんてこ舞いであった。久しぶりに昼寝のできたゆえんである。
 このあいだの土曜の夜の暴風雨のときには、リビングの一角がまるで瓦が飛んでいってしまったんじゃないかと思うような雨漏りが発生した。手の施しようもないので、そのときはほったらかしにしておいた。
 浴室のほうも、屋根を支える梁の竹が数本腐りだして、屋根がゆがんでしまっている。

 土地の契約の切れる15年後にいさぎよく壊れてしまう家を建てる、という当初の狙いとは裏腹に、築5年で早くもあちらこちらにガタが出はじめている。さっそく、この家を建てたときの頭領に電話して修理に来てもらった。
 他方、そのときの大雨のせいで川の増水は相変わらずの洪水をもたらした。一夜明けてみれば、川からあふれた水が激流となって南側の道路のあちこちが削りとられているのがわかった。年中行事なので、砂利を小型トラックに一杯分注文して、午後の暑い盛りにスタッフたちが総出で、運ばれてきた砂利を均(なら)して道路の穴をふさいだのだ。
 洪水! この土地で起きる洪水というのは、これは天災ではなく明らかに人災なのである。
 西側に流れている川というのは、この周辺の農民たちの運営する水利組合が管理している農業用水であって、純粋な自然河川ではない。幅1.5m ほどで、深さは岸の高さまで、わずか80cm ほどのもの。常時流れている水の深さは30
〜40cm ぐらいでしかない。

 この用水路と南を走る道路が直角に交わるポイントに、誰が架けたのかは知らないが、コンクリートの橋がある。路面と橋が同じレベルにあるので、知らないひとは誰もここに橋があるとは思いもよらないはずだ。この橋から水面までが40cm 程度だから、ちょっとした増水で水面は橋に届いてしまう。こういう橋を架けた人間は、けっきょく丸木橋の発想を一歩も出ていないわけである。
 そして、問題はゴミ。ひっくり返すとゴミ問題。これは、バリでは大変な問題になりつつあるのだが、気にかけるバリニーズは少ない。この問題に取り組んでいるボランティア組織があるが、ぼく自身は、ほとんど絶望的にバリの状況を眺めている。これについては、いつか書いてみようと思うが、いまは、ウチの横の用水路の話である。
 大雨が降ると、ありとあらゆる種類のゴミがこのちいさな川に流れてくる。バナナの幹から樹の根、木の枝といった大型ゴミに始まり、ペットボトル、自転車チューブ、発泡スチロール、サンダル、下着、スナック菓子の袋、シャンプーや洗剤の空きボトルなどなど。
 これらが、橋にひっかかり、そのうちに橋の下に詰まって川の流れをさえぎり、勢いあまった水はドッと道にむかって激流となって流れてくるわけだ。それはそれは、凄い眺めである。そして、溢れだした水とともに上に書いたようなゴミの見本市のようなガラクタが、道といわずぼくのウチの庭といわずあたり一面に流れてくるのだ。これもたいした眺めである。
 水が引いたあとには、ぼくは軍手をはめ、大きなカゴを手にしてゴミ拾いを始める。そして、濁流に削られた道路の穴をふさぐために砂利を買って、スタッフが道ならしをする。
 毎年雨季になると、これの繰り返しだが、きょうはその第1回目の日でもあったのだ。