ダブル・スタンダード

 先週はめずらしく外食する機会が多かった。いちどは、ジャカルタから来た2組の建築家夫妻と5人で、ウブッドでも評判のスペア・リブ専門のレストランで夕食をともにした。
 かれらはクリスチャンなので、豚のスペア・リブは問題にならない。ジャカルタでは味わえない味覚なので、バリに来たらぜひ食べておきたいのだそうだ。ひと組の夫妻は、テイクアウトに、ひと抱えにもなる量のリブを注文していた。ジャカルタの家で待っている、3人のこどもたちと一緒に食べるのだと嬉しそうに話していた。
 帰りの車の中で、Gが言った。
「外国人とは値段が違うみたいだったよ」
 レジで支払うときに、かれは隣の外国人ツーリストの伝票をチラと見たらしい。ひと皿分が75,000ルピア(約750円)になっていたという。ぼくらは、ひと皿、65,000ルピアだった。
「ああ、ダブル・スタンダードだから」とぼくがこたえ、バビ・グリンの店での出来事を披露したらみんなで大笑いになった。かれらの日常の暮らしの中ではありえない話なのだ。
「あなたみたいにインドネシア語ができても、そうなの?」
 とGの妻が尋ねた。
「見た目はやっぱり、日本人だよ」とTが言った。
 いや、よく中国系インドネシア人に間違われるけど、と言おうとしてぼくは黙った。かれらは4人とも中国系インドネシア人である。あの店ではきっと、ぼくも含め全員が、ジャカルタから来た裕福な中国系インドネシア人と見なされていたろう。そう思われて、ときには地元のひとよりも高い値段をふっかけられるぼくの経験からすれば、1人前65,000ルピアの値段にもひょっとして「プレミアム」がついているのではないかと疑わしくなったのである。
 ダブル・スタンダードならぬトリプル・スタンダードか? 大いにあり得る。でも、そのことはかれらには言わなかった。

 バリではしばしばこういった経験をするので、その場面に向き合わされるのには慣れっこになってしまったが、長く住んでいればいるほど一種のあきらめと同時に、理不尽だなという思いが交錯してなかなか複雑な心境になる。
 ツーリストは、値引き交渉というものを楽しむ余裕がある。ガイドブックなどでも、言い値の半分から値段交渉をするように、などと書かれていたりするのは、高い買い物をさせられないようにというアドバイスとともに、日本ではめったにお目にかかれない「相対(あいたい)取引」を楽しんで体験してみたらいかが、といったニュアンスもあるのだろう。
 アジアでもとりわけ人気の高い観光地に来て、にぎわう市場やみやげ物屋で地元のひとと直接ことばを交わしながら値段を決めていく。円に換算して考えてみたらやっぱり安い品物を、なんのかの言いながら交渉しているのは、旅の経験としては当然、楽しいひとときに違いない。
 地元のひとから見れば、ツーリストというのは高い航空運賃をつかい、高いホテルに泊まり、高いレストランで食事ができる外国人なのだから、ウチの店で高い買い物ができないはずがないじゃないか、となるのだろう。観光をベースにした経済圏のなかで生きるひとびとには、モノが本来もっている価値から価格が決まるというよりは、外国人の財布の重さから価格をきめていくような面があるのも、おそらく事実だろう。
 在住者としては、こうした尺度からしか外国人を見ない地元の人間に出会うと、やはり複雑な心境に陥らざるを得ないわけだ。

 先週、知人宅で会食する機会があり、個人タクシーを頼んででかけた。よく、道端で「タクシー、タクシー」とか「トランスポー、トランスポー」などと叫びながらツーリストに声をかけるタイプのメーターなしのタクシーだ。
 たまたまその日に限っていつも利用している個人タクシーのドライバーがつかまらなかったものだから、久しぶりに、昔からよく知っているWに連絡して迎えにきてもらった。
 夕方6時に家をでて、11時に帰宅した。家に着くまぎわに料金を尋ねると「30万ルピア」と言われ、びっくりした。
 いくらなんでも、それは高すぎるヨ、ぼくはツーリストではないんだから、と言ってもかれは譲らなかった。いつも利用している個人タクシーの倍近かったが、そう話したところでかれには通じない。
 これほど高いとは思ってもいなかったので、今後はもう頼むことはない、と言いながら金を払った。
 
 ふだん、ぼくが物の値段を見るときにひとつ基準にしている数字がある。毎年、国が決めている「地域別最低賃金 」で、インドネシアでは略語をつかい UMR と呼ばれている。バリでは、県別に1か月の最低賃金が定められているが、いちばん高いデンパサールで80万ルピア(約8千円)、ブレレンがいちばん低く68.5 万ルピア。ウブッドのあるギアニャール県は76万ルピアとなっている。ちなみに首都ジャカルタは100万ルピア。
 この最低賃金がどのような根拠で算出されているのかは不明だが、この数字を見ていると、当然、これはもっとも低い額であって、これ以上の賃金を払うのを目標とせよと雇用者にむかって示しているのだろう。
 せいぜい、独身者にとってこの程度あればひと月をなんとか暮らせるといったレベルで、貯蓄までまわす余裕があるかは怪しい。家族をもっている者には、共働きでないかぎりほとんど無理ではないかと思える。
 もちろん、暮らしぶりの工夫はひとそれぞれなので、外部の者には断言はできないのだが。
 しかし、こうした基準額の前後で生活するひとびとの経済圏が一方にあり、これをローカル経済圏と呼ぶなら、他方の観光経済圏との格差は画然としているだろう。
 先のドライバー君が、わずか5時間で稼ぐ30万ルピア、プール付きの平均的なバンガロウで1泊40万ルピア、決して洒落た店ではないスペア・リブのレストランで、ぼくら5人でかんたんな夕食をとって約45万ルピアと、いずれもこのギアニャール県の最低賃金の50%前後にあたる金額を数時間で消費していることになる。
 このふたつの経済圏にまたがって、いわばダブル・スタンダードの領域を行き来しながら生活している外国人在住者としては、複雑で微妙な心境をつねに味わうことになるのである。