昨夜来たニョマン

 ちょうど蕎麦を茹でようとしているところへ、チュルックのニョマンがやってきた。
「ニョマン、晩飯はすんだ?」と聞くと「うん」と返事があったが、「日本蕎麦だけど、いっしょに食べるかい?」ともう一度聞いてみたら「食べる,食べる」と繰り返してかれは言った。スパゲッティだったら、こういう返事はないはずだ、とおかしくなった。だから急遽、ふたり分茹でることにした。


 ニョマンとは‘93年以来の付き合いだ。当時、バンドゥンの大学を卒業したばかりで、家業のシルバーショップの支店をウブッドのモンキーフォーレスト通りに開店したところだった。たまたまぼくが宿泊していたホテルの隣にあり、ニョマンとそのホテルの若いオーナーが以前から親しく、店舗はホテルオーナーが所有していた。ニョマンがホテルに顔をみせたときに、ロビーにいたぼくは偶然声をかけられた。
 長身の細いからだをいつも弾むように上下させながら動き、快活で、誰に対しても分けへだてなく気軽に話しかける屈託のない青年だった。何度か会っているうちに、「ニョマンはいつも楽しそうだねえ」と言うと、
「見た目だけだよ」
 と、なかなか神妙なこたえが返ってきたことがある。
 いまは、チュルックの実家の隣にじぶんのショップを経営し、ウブッドの支店はとっくに閉じていた。小学生になるふたりの息子と妻との4人暮らしである。


 昨年6月、親しくしている日本人の招待でかれは初めて日本(大阪)を訪ねた。それ以来、ニョマンの「日本びいき」はつのる一方だ。日本からもどってきたかれに、こう尋ねられたことがある。
「ナルセはどうして日本を離れバリを選んだの? 清潔ですべてのものが整備されていて便利で、ひとも皆親切で、バリに比べたらはるかに暮らしやすいところなのに…」
 いい質問ではあるが、かれを納得させるように答えるのはなかなかむずかしい。似たような質問を、親しくしている同年の友人Bさんからも以前受けたことがある。Bさんのように幾度も日本を訪れ、日本と日本人の良さをじゅうぶんに知っているひとであれば、仮にぼくがニョマンの問いに対して「そういうのが、嫌なんだよ」と素っ気なくこたえたとしても、そのニュアンスは理解してくれるだろう。
 ニョマンは、その開放的な性格と素直な感受性を通して日本を見、そしてひとびとに触れてきた。初めての訪問がかれにとって至福の体験であったのを、ぼくも嬉しく感じている。


 こんなことがあった。’94年冬、わずか10日ばかりの休暇をバリで過ごしたとき、ニョマンはかれの車にぼくを乗せあちらこちらを案内してくれた。ブドゥグルの熱帯植物園やティルタ・ガンガの水の王宮などは、当時、ひともほとんど訪れない場所であった。水の王宮の、廃墟めいた様子はまるで森のなかの古跡のたたずまいを見る印象だった。
 滞在最後の日、空港へむかう前にクタの海岸沿いの、海を望むレストランにはいってふたりで食事をした。そのときぼくは、世話になった礼のつもりでニョマンにわずかなお金を渡そうとした。
 とつぜん、ニョマンはむっつりと黙り込みテーブルの上にじかに置いた円札を睨んだ。みるみる顔つきが険しくなり紅潮している。感情を抑えるようにして、ゆっくりとかれが言った。
「お金がほしくて案内したんじゃない」
 ぼくは、自らを恥じた。かれは屈辱と怒りにかられていたに違いない。率直に、ぼくは謝罪した。


「そばの食べ方は、そういうふうに少しずつつまんで食べるんじゃないよ。こうやって…」とぼくは、実演してみせた。「音たてて食べるのがいいわけ、そばの場合は」
 こんなふうに啜ってものを食べるのは、ひょっとして日本人がそばに向かったときだけかもしれないな、とふと思った。インドネシア人も麺好きだが、音たてながら啜って食べている姿など想像もできない。ニョマンは相変わらずチョロッと箸につまんだ蕎麦を口に運んでいる。
「最近は、ぜんぜん肉を食べなくなった」とニョマンがぽつりと言った。4人家族で、だいたい1日の食費を15,000ルピア(約150円)に抑えているそうだ。妻がやりくり上手なので助かっている、と言った。「ときどき鶏肉を食べるくらいかな」とかれはつけくわえる。食費よりも教育費のほうがはるかに高くつくからだ。
「それに医療費。このあいだこどもの歯の治療をしたんだけど、請求書を見てびっくりしたよ。その場で払えなくて、出直したんだけど、150万ルピアだよ!」
 どんな治療をしたのか知らないが、たしかにそれは高すぎる。だが、インドネシアでは公的保険制度が整備されていないから、どんなに高い治療費でも自己負担でまかなわなければならない。
 昨年のちょうどいまごろ、スタッフがたてつづけにデング熱にやられた。治療費はすべてぼくが負担したが、ひとりは2度の通院で95万ルピア、もうひとりは2日の入院費もふくめ250万ルピアもかかった。


「ところでこのごろ、隣の騒音がうるさくて困っているんだ」と、ぼくは話題を変えた。停電のとき、むきだしの自家発電機がまるでプロペラ機のような轟音をたてるし、最近、4匹の犬を放し飼いにしはじめたので、夜になると、これがそろって道でけたたましい吠え声をあげる。ひどいときには何時間も吠えているので、眠れなくなるときがあるくらいだ。
「バリの人間だと、こういう場合どうする?」と尋ねると、ニョマンは「むずかしいなあ」と言ったきり、考えこんでしまった。
「バリ人って大きな音が気にならないからな」とぼくが言うと、かれはうなずいた。
「でも、発電機の件は話し合えると思うよ。たぶん、分かってくれると思うけど」
 どうかなあ、とぼくはこたえた。
 テーブルにおいた籠のなかの梨にニョマンは手をのばした。「皮ごと食べるなら水で洗ったほうがいいよ」とぼくが勧めると、かれは籐椅子の肘かけをつかみ、体重をかけて立ち上がった。そのとき、いきなり椅子の脚が折れ、ニョマンはからだを傾けた。


 きょう、椅子の脚を短く切り、坐面の低い椅子に仕上げた。TVを観るにはちょうどよい、きわめて座り心地のよい椅子になった。