バリ人の微笑

 初めてバリを訪れたのは‘92年1月だった。バリを基地にしたマグロ漁の取材が目的で、ライターのMさんとともにベノア港を中心に歩いた。
 3日のインターバルをとり、チャーターしていた車でウブッドに向かった。当時の交通量は、ほんとうに少なかった。ロンボク島出身のドライバーは、舗装された道路を猛スピードで車を走らせた。車が少ないからといってなにも道の右側を走ることもないだろうにと思うのだが、対向車が見えると左車線に車を戻すといった走行を繰り返している。
 いま思えば、たぶんシンガパドゥのあたりを走っていたときだ。ここはまだ舗装されていなかった。スコールの直後の道のあちこちにはちいさな水たまりが光り、左右の家並みから道にせりだした高い木々は夕陽をあびている。濃い緑と初めて目にする熱帯の花があざやかなモザイクのように映った。
 ドライバーは相変わらず道のまん中をためらわずに突っ走っている。前方に礼装した女性がお供え物を頭の上にのせて歩いている後ろ姿が見えた。こちらも、堂々と道のまん中を歩いている。
 最近ではあまり見かけなくなったが、道のまん中を歩いているひとは以前は多かった。その光景を新鮮に感じたほど、多くのひとが、とくにお年寄りが道のまん中を歩いていたものだ。ひとの流れが道の左右に振り分けられてしまうようになる前は、ここでは曜日に関係なく歩行者天国だったわけである。そのくらい車の量が少なかった。
 ドライバーがスピードも落とさずに、クラクションをブッブッブッーと大きく鳴らした。前を行く女性はつと足をとめ、頭の上のお供え物の盆に右手をあててゆっくりと上半身を後ろにめぐらせる。まだ若いひとだった。そして、にっこりと微笑んだ。からだの向きを前にもどしながら、スッとすべるように道の左端に移動した。
 Mさんとぼくは、はからずも同時に感嘆の声をあげ、顔を見合わせた。
 けたたましく聞こえるクラクションの音、急かすような苛立ちさえ感じさせる音に、彼女は微笑をもってこたえたのだ。これはただごとではない、と感じた。ぼくもMさんも、なんだ、これは !? といま見たばかりの光景に驚き、その「意味」を探ろうとした。
 ふたりの日本人にとっては、謎の微笑となった。
 

 バリに住みだしてからは、徐々にではあるが、こうした場面でのかれらの微笑の意味がつかめるようになった。
 たとえば、方向規制も車線もない交差点で左側から右折してきたバイクと、逆に手前の道から右折しようとしたバイクが危うく衝突しそうになりブレーキをかけた。前輪はほとんど触れている。そのとき、バイクを運転していた者同士が、バリ人特有の挨拶──相手に向かってあご先をつまむように軽くあげ、互いに微笑を浮かべるしぐさを交わしているのである。
 手前から右折しようとしたバイクの後ろに、じつは、ぼくは便乗していたのだが、この場面を目撃してやはり驚いた。あえて過ちを指摘すれば、前方から右折してきたバイクがこちら側に深く入り込んだために衝突しかけたのだが、かれらは互いに微笑をかわすだけで、相手の非を責めようとも、他方はまた謝ろうともしない。ただ、にっこりと微笑を交わしただけなのだ。そして、相手のバイクは前輪を左に向け直し、そのまま走っていった。
 なるほど、とつくづく感心してこの光景を眺めていた。


 後年、ラフカディオ・ハーンの「日本人の微笑」を読んでいるときに、このバリのひとびとの微笑とかつてハーンが日本に暮らしていた時代の日本人が浮かべていた微笑との近似性に気づいた。
 ハーンが例として挙げているのは、明治20年代の日本、まだ多くの西欧人が横浜の居留区に住み日本人を使用人としてつかっていた頃、かれら西欧人が日本人の微笑を不可解なもの、不思議なもの、ときには侮辱的なものととらえていた時代の話だ。
 そこから一例を、いまのぼくらにとっても少し分かりにくいかもしれない例を引用する。
 ある家政婦が女主人に、夫が死んだので家に帰らせてほしいと頼んだ。もちろん女主人は許可するのだが、そのときの家政婦が「なにかたいへん楽しいことでもあったように、にこにこ笑いながら」女主人に話した、というのだ。そして、葬式からもどった家政婦が骨壺を女主人に見せながら「これが主人です」と、やはり笑いながら言った。
 女主人は、「こんないやらしい人間のこと」聞いたことがあるか、とハーンに訴えたのだ。
 ハーンの文章は、その一編をついやして、当時の日本人の微笑について解釈しその背景を説明しているが、ひとことで要約すれば「それは入念に、長い間に洗練された、一つの作法なのである。それはまた、沈黙のことばでもある」となる。
 上の家政婦の例も、彼女があくまでも家政婦という使用人の立場から女主人に向きあっているのを忘れてはならない。彼女の哀しみは主従関係の会話のなかでは解消されるわけもないし、その哀しみすら面(おもて)にはだせない。夫の死という彼女にとって辛い事実を女主人の前で涙や嘆きとして表現してしまえば、主人とのあいだの関係が崩壊してしまう、と彼女には分かっているからだ。彼女はそれを賢明にも避けているのだ。


 バリ人の微笑も、これに近いものがあるとぼくは思っている。なによりも、その微笑は、人と人との緊張が起きそうな場面で、衝突や悪化や崩壊を避けようとして、たぶん無意識のうちに浮かべられるのだろう。それは、端から見ているとじつに自然に生まれてくる微笑だ。
 かれらバリ人の微笑の意味が分かりかけてきたら、それがつい数世代前のぼくらの祖先のもっていた「沈黙のことば」に近いのに気づき驚いている。