続・バリ人の微笑

 いま、ぼくの工房では、3m四方の紙、4m大の紙をつくるのは当たり前になっている。保存してある紙のなかには、幅2m、長さ20mというバナナペーパーもある。手漉き紙としては、きっとギネスブックに載ってもおかしくないし、ギネス登録をめざすならさらに長い紙をつくるのも可能だ。
 こうした大きな紙を制作しはじめた2002年頃は、もちろん慣れないせいもあってしばしば失敗した。だから、大きな紙をつくるときにはかなり緊張した。すくなくとも、ぼくは緊張していた。
 ある日、スタッフのBkがニコニコしながらぼくのところへやってきて言った。
「破れちゃった〜」
 前日漉いた1.5m×2.5m の紙を漉き枠ごと数人で持ち上げて移動させようとしたときに、天井から下がっていた鉄のスティックが紙を突き破ってしまった、というのだ。
 前回引用したラフカディオ・ハーンの文章から再び引くと、「なにかたいへん楽しいことでもあったように、にこにこ笑いながら」、破れちゃった〜とBkは言ったのだ!
 なんで、ここでそういう笑いを浮かべるのか! 紙が破れるとそんなに嬉しいかっ! というのが、正直言ってこのときのぼくの内心の反応だった。
 もちろん、ヘマをしでかしたり、ドジを踏んだときに、ぼくらはだいたい笑いを浮かべるものだ。それはいわゆる「苦笑い」「照れ笑い」の類だろう。でも、ぼくの見たところBkの笑いは、ほんとうに楽しそうなのだ。ぼくは、心底ガックリときた。

 
 ハーンの「日本人の微笑」には、こういう話も載っている。ある西欧人が馬を駆って狭い坂路をくだっていた。前方から人力車が一台、坂を上ってくる。馬を止めるのも間に合わない。とっさに、その西欧人は日本語で「道の向こう側へ行け」と怒鳴りつけた。ところが、車夫は俥を道と並行にではなく、梶棒を路の中央にむけて停めた。路幅はますます狭くなってしまったわけだ。
 擦れ違いざま、梶棒が馬の肩にぶつかり血が流れだした。この西欧人はカッとなり車夫の頭を鞭の握りでなぐりつけたのだ。
 そしてこの西欧人が不可解なこととして、ハーンに打ち明けた。
「男はぼくの顔をまっすぐに見ると、にっこり笑って、頭を下げるのだ。いまでも、その微笑を思い浮かべることができる。ぼくは打ちのめされたような気がした。…. いや、なんともいんぎんな微笑だったな。が、どういう意味だったのだろう。いったい、なんであの男が笑ったのか。ぼくにはそれが分からんのだ」
 さて、いま、どのくらいの日本人がこの車夫の微笑を説明できるだろうか。この話を聞いた時点では、ハーンにも、この微笑の意味は分からなかった。
 頭を打たれたのは、この場合、身分の低い車夫だった。しかし、当時、西欧人の使用人としてはかつての武士階級の者もいた。「日本人の微笑」にあげられるエピソードのなかには、横浜の外国人商人につかわれていた品格のある元武士の使用人の話も登場する。
 前後の詳細ははぶくが、あるときこの商人が老人に立腹した。しかし「老人は頭を下げ微笑を浮かべながら、猛烈な怒りに耐えていた」。商人は、その態度にますます怒りを燃やし、老人に家を出るよう命じた。しかし、なおも微笑を絶やさない老人の様子を見るや、商人はわれを忘れ老人を殴りつけたのだ。
 老人は、家にもどると切腹した。


 ここに書いている話のポイントは「微笑」だが、上に引用したエピソードのふたつながらに出てきた、西欧人の「殴る」という行為でひとつ思い出したことがある。
 数か月前に読んだ新聞記事だが、ジュンブラナ県のある飲料水メーカーでの事件である。このメーカーは、日本の援助によってできたものらしいが、マネージャーも日本人男性で、まだ赴任後数か月の時点での出来事だ。従業員が終業時間前に帰ってしまうのを注意しつづけたのだが、それでも是正されない。
 業を煮やしたかれは、ゴルフクラブで従業員の頭を殴り、何針か縫う怪我を負わせてしまったのである。
 身柄は地元警察に拘束されたが、続報が途中で切れたので詳細は不明だ。おそらく裁判にまでは至らなかったはずだ。
 かれの怒りや苛立ちは、長くこの土地に住んでいる者として理解はできる。しかし、用意した(?)ゴルフクラブで殴るのはやはり許されない。
 日本人が、この土地で、明治開国期の特権的居留外国人のような態度をとるのはじつに簡単だ。だからこそ、そういう姿を見るのは残念なのだ。
 同時に、これはきわめて個人的な体験からいえるのだが、暴力で目的を果たそうとするのは、見せかけの服従と憎悪しか生みださない。公教育のある時期3年間を、暴力教師たちに囲まれて学校生活を過ごしたぼくには、暴力をふるう不遜な人間に対してはいかなる同情も感じられない。


 話をもどすと、車夫の「いんぎんな微笑」というのは、馬がぶつかったのを見てかれはあらためて俥の置き方が間違っていたのを知り、じぶんのヘマを認め、ぶたれた瞬間に「痛っ!」と感じつつも、その痛みを笑いに隠して婉曲ながら謝罪の気持ちをこめているのだろう。
 元武士の微笑にしても、主人に対し「ちょこざいな毛唐めが…」などと反抗的な薄ら笑いを浮かべているわけではなく、忍従の意を示しているにすぎない。怒りというアクションを吸収し、緊張したその場の平衡状態を保とうとしているのもみてとれる。
 こんなふうに、当時の西欧人には不可解な、ひょっとして現在の日本人にも分かりにくくなっているかもしれない、かつての日本人の微笑はハーンのいうようにすぐれて「沈黙のことば」の機能をもっている。


「破れた紙」の一件でBkが見せたほがらかな笑いは、車夫の微笑にも、元武士の微笑にも似てはいないだろうか。もちろんぼくは、殴ったわけでも怒ったわけでもない。こちらが怒る前に、いわば緊張状態が生まれないようにと「仕組まれた」微笑、と解釈できる。
 いまでこそ、そんな風に受け止めているが当時は理解していなかった。しかし、あっけらかんとした微笑にはそれなりの「効果」があったのも事実だ。
 ぼくはかれの微笑にあっけにとられ、怒るまでに数秒の間があった。