ふたつの医療事情

 誤診や医療ミスはどんな国でも起きる。日本でも大きな医療ミスは訴訟の対象になり、社会的な関心を呼ぶ。医師の過失がみとめられ、免許取り消しの処分が行われたという決定もニュースになったりする。
 昨日書いたジャカルタの話、病院が元患者を告訴したケースは、この国の医療事情を多少なりとも知る者としては、訴える者と訴えられる者が「主客転倒」しているのではないか、との感をまぬかれない。
 「盗人猛々しい」と言えば角が立つから、せいぜい「身の程知らず」と言っておこうか。もちろん、病院側が、である。
 まだぼくが日本にいたときには、医療ミスのニュースはあくまでも新聞やTVを通して、語弊のある言いかたになるが、他人事として見たり聞いたりしていた。が、ここでは、確率の異常な高さからいえば、いつじぶんの身の上に起きてもおかしくない身近な問題となった。
 じっさいぼくが誤診されたふたつの例も、あの段階だけですんでいるから笑い話で終わったが、その誤診にもとづいて治療にまで進んでいたら、と想像すると怖い話である。
 
 ‘96年のことだ。知り合いのKtが「弟の手術費用が足りないので、金を貸してほしい」と訪ねてきた。頭のなかに腫瘍があるらしい。頭痛やめまい、吐き気に襲われ仕事もできなくなったのだそうだ。どういう手術がほどこされるのかぼくには理解できなかったし、かれも詳しくは知らないようだった。そもそも脳腫瘍の手術が、ここでもできるのか? と訝(いぶか)しく思った。
 手術後、Ktとその弟、それに家族のものがお礼にやって来た。弟は頭に白い包帯を巻きつけている。初対面だったが、笑顔を絶やさぬ好青年だった。手術したばかりだというのに、もうすっかり元気そうに見えた。
手術は成功したと、みんな喜んでいた。ぼくも、なにがしかの役に立ててよかったと思った。
 術後のケアとしてレーザーをあてる治療がつづいたのだが、そこで重大なミスが起きた。けっきょく、かれは植物人間になってしまったのだ。
 一度だけ自宅にいるかれを見舞ったが、目も当てられないほどに痩せ細っていた。貧しい暗い自室にかれは横たわり、宙をみつめている。家族の者といっしょにぼくを訪ねてきたときのあの笑顔も、「ありがとう」といった明るい声も、20歳のかれの生とはもう無縁になった。
 ほどなくしてかれは死んだ。殺されたというべきかもしれない。だが、責任を問われた者はひとりとしていなかった。

医療技術の低さだけが問題なのではなく、ここの医療機関を見ていると、もうひとつ大切なものが欠けている気がしてくる。「人間の問題」といってしまうと漠然としているし、取りようによっては差別的とも受け取られかねないのだが、医療従事者の資質に本来あってほしいと思うものが欠落しているように見えるのだ。
 あるとき風邪をひき近くのクリニックで診察した。熱は37度ほどで、喉が痛い、咳はまだでていない、というようなことを目の前にいる医者に話した。
「日本の医者はいいよな、給料高いものね。ここはダメ、安くて」
 それは、きみのレベルに見あった収入なんだよ、と言いたいのを我慢した。あとで毒でも処方されたら大変だ。
 紙きれ(あらためて断っておくがカルテではなく、ただの紙きれ)になにか書いているふうには見えたが、かれの口からでてくることばは病気とはいっさい関係のない金の話だけである。金がない、という愚痴だけであった。
「高い薬と安い薬があるけど、どっちがいい?」
「効く薬」
「じゃあ、高いほうだ」
 なんとも寂しいやりとりではないか。
 診察(!)室を出ようとするぼくにむかって、かれが声をかけた。
「サンパイ・ジュンパ ! / では、また!」
 二度と来るか! とこたえてぼくはその部屋のドアを閉めた。
 
 人間のための医療事情は、そのまま動物のための医療事情にも反映している。いま、ぼくの飼っている動物は犬と猫だけだが、かつて二匹の犬を誤診と「治療放棄」のために死なせてしまったことがある。
「治療放棄」とは、こういうことだ。
 病気にかかった犬をしばらく入院させていたのだが、ある日、獣医のスタッフがその犬を抱えて連れてきた。「もう治った」といって、モノでも放るようにベランダに犬を投げ出し、そのまま逃げるように立ち去った。犬を起こしてあげると、かれはぼくのからだに寄りかかり顔を胸にうずめて身動きもしない。歩くこともできないのだ。
 ぼくは、急いでバイクに乗って獣医の車を追いかけた。行き先は分かっている。たまたま同じ時期に友人の犬がこの獣医のもとで避妊手術をうけたので、その犬を返すために友人宅に行ったに違いない。
 案の定、彼女はそこにいた。ぼくは強い調子で彼女に説明をもとめた。「治った、とはどういう意味か。あの状態が治ったといえるのか!」彼女は、必死に言いわけを繰り返すが、ぼくは承知しない。
 ぼくの犬がすでにあの状態では、もはや助からないのは明らかだ。それを知っていて「治った」といって返しにきたのは不誠実そのものではないか。入院と称して預かっておいて、けっきょく悪化させている。どうしても許せなかったのはもの言わぬ生きものの弱点を利用して、治療放棄をしたことなのだ。
「あとで、メールできちんと説明します」と彼女は言ったが、けっきょくそれも嘘であった。
 
 こういった話は限りなくでてくるのだが、それらを積み重ねたところで「解決策」は見当たらず、気は重くなるばかりだ。でも、対応策はある。
 医者を相手にしなければいいのだ。要するに、人間も動物も健康であらねばならない。これは、もはや至上命令といってもよい。医者になどかかってたまるか、というくらいの心意気が必要なわけである。
 とはいうものの、天候不順のせいで、じつは数日前からぼくは体調を崩しているのではあるが…。