バリの犬たちと出会う 2

 タガスの借家は、路地を入って2軒めでそれより先には空き地が、その奥は集落がかたまっていた。
 路地をひとが通るたびに、プーがやかましく吠えるのが気になった。カラーで住んでいた家は、集落から離れた田んぼ沿いに建つ一軒家で、周囲にはまだ5軒の家しかなかった。それさえ、隣り合って建っているわけではない。
 ここにいたときには、プーはそれほど激しく吠える犬ではなかった。そもそも人通りというのが極端に少なかったのだから。
 ところがタガスの家は集落のなかにあって、しかも路地に面しているから、ひとの気配はカラーの比ではなかった。犬としてみれば、新しく移った家はそのままかれのテリトリーであり、そこに近づく者を警戒するのは仕方ないことだ。新しい隣人たちの臭いにさえまだ慣れていないから、すべての人影はプーにすれば警戒を要したのだ。
 といっても、こんな「犬の論理」がまかりとおるわけもない。

 ある日、バリ人の知人が訪ねてきた。かれの住まいはこの近くではないが、教師をしているかれの同僚がこのタガスに住んでいる。どうやら奥にある集落のなかの1軒らしい。その同僚が、かれに「あの日本人に、犬をつなぐように言ってやれ。犬を殺すと言っている人間が住民のなかにいるから」と話したのだそうだ。その同僚は知人を通してぼくに忠告を伝えたわけである。
 う〜ん、きたか、と思った。「殺す」とはおだやかではないが、しかし単なる脅しでないのは分かっている。しかし、犬をつなぐのも容易ではない。広い場所で育ってきた犬を、つなぎ放しにするのも気が進まない。
 それにしても、この話をわざわざ伝えにきてくれた知人の名前がプートラさんなのだから、皮肉な符号である。
 プーが吠えるたびに、ぼくは外に出て叱ったが効果はそのときだけである。仕方ない、門を閉め狭い敷地に閉じ込めておくしか方法はない。すると、プーは2階にのぼってまで下の路地を通るひとを吠えている。
 バリの犬はほんとうによく吠える。誰にむかっても激しく吠える。犬を飼っていて、いちばんやりきれないのはこの吠え声だ。だから番犬になるといえるとしても、見境もなく耳をつんざく声で吠えられるのは誰だって嫌なはずである。飼っているぼくが、まずいちばん嫌なのだから。
 2階にのぼって吠えているプーを叱るために、ぼくは階段をのぼった。2階といっても部屋があるわけではない。コンクリートの打ちっぱなしで、バリではよく見かける「建設途上のつくり」である。周囲はL字に壁があるだけで東と南側のふたつの方角が見通せる、だだっ広いスペースだ。
 階段をのぼりきる前に、プーの姿が2階の角に見えた。下を向き必死に吠えている。ぼくは「プー!」と怒鳴った。最後の6、7段をのぼると手前にある柱の陰になってプーの姿が見えなくなる。柱を過ぎた瞬間、ぼくは目を疑った。消えているのだ、プーが! プーのいた場所に急いだ。下に落ちてしまったのかと思ったからだ。ところが、下を覗くと路地のどこにもプーはいない。
 5mほどの高さのこの場所から落ちたとして、あるいは飛び降りたとしても無事であるはずはない。不思議としか思えない姿の消しかただった。
 そのあとだいぶ経ってから、この家では奇怪な、「ポルターガイスト」ともいえそうな出来事が相次いで起きたので、このプーの突然の消えかたもその「前哨戦」だったのかもしれない、とあとから思った。
 2時間ほどして、プーは何食わぬ顔で外からもどってきた。肢にも異常はない。
「あのサ、さっき何が起きたの?」
 と聞きたいところを、ぼくは奇妙なものでも見るようにプーを見ていた。

 殺す、という警告が、ただの脅しでなかったのがある日はっきりとした。プーが首から血を流しながら帰ってきたのだ。幸い傷口は深くはなかった。鎌の先が数センチほど走った傷だ。急いで手当をした。
 プーはすっかり元気をなくした。一歩も外に出ようとしない。食べようともしない。部屋にうずくまったまま、じっと考えごとでもしているような顔つきでいる。傷は痛々しいが、悪化する様子はない。切られた痛さよりも、心理的ショックのほうが大きいのだろう。
 1週間ほどそんな状態がつづいていたが、ある日プーは忽然と姿を消した。不思議な姿の消しかたではなく、こんどはれっきとした家出であった。

「プートラがウチに来ているよ」
 と電話で教えてくれたのは、カラーの知り合いだった。親しい間柄だったので、しばらく預かっておいてくれと頼んだ。タガスの家からは歩いて10分ぐらいの距離だ。バンジャル・カラーで育ち、慣れ親しんだ臭い、いっしょに遊べるともだち、なによりもプーにとって安全だったその土地がけっきょくはかれの永住の地となったのだが、それはまだだいぶ先の話になる。
 犬としてのプーの行動は、分かりやすい。安全であることが、まずかれの生存条件の基本なのだから。餌は、どこかでかならず手に入る。多かろうが少なかろうが、旨かろうがまずかろうが生き延びていくうえで最低の分量は確保できるだろう。
 あの沈思黙考の1週間、かれは本能と経験、記憶をたよりに「これからの生き方」を思いめぐらしていたのかもしれない。
 そして、決断したのだろう。
 その決断は、なるほどとも思うし、見事とも思った。ただ、忠犬ハチ公の「伝説」を共有する者としては、一抹の淋しさを味わったのは事実だ。
 
 犬に見捨てられてしまった飼い主であるには違いないのだから。