デウィの受難

 デウィがまだ子犬のとき、まるで肢の長いネズミのように走りまわっていたころに、空気銃で後ろ肢を撃たれたことは前回書いた。すぐ隣に住んでいた木彫り職人の仕業だった。たぶん、作業場にあった木彫りを齧(かじ)ってしまったのだろう、とぼくは想像した。ちょうど、この年頃の子犬は手当たりしだいになんでも齧ってしまう。サンダルの緒、椅子やテーブルの脚、クッションの隅となんでもござれである。ぼくは、うっかりベランダに置きっぱなしにしていた眼鏡のつるをプートラに齧られたことがある。
 タガスに移り、こどもを産んでから、デウィもまたよく吠える犬になってしまった。メス犬の場合、育児中はひじょうにナーバスになり警戒心が強くなるからだが、これは、どんな動物の場合も同じだろう。
 デウィは子育てが終わってからも、この吠え癖が直らなかった。
 けっきょく、この犬もプートラと同じ“運命”をたどった。鎌で背中を突かれて傷を負ったのだ。突かれた箇所がいまだに分かるのは、この部分だけ毛が逆立って生えるようになったからだが、鎌の先が骨髄にまで達していなかったのは不幸中の幸いである。
 プートラと違い、デウィの場合は家に閉じこもることもなく、相変わらず元気に飛びまわっていた。たぶん、性格的な差なのだろう。

2001年頃のデウィ。ガルーダと一緒にひなたぼっこ
 デウィの避妊手術は、4度目の出産後におこなった。避妊させなければと思いつつ、妊娠とつぎの妊娠とのあいだがあまりに短くタイミングを逸していたからだ。しょっちゅう子どもを産んでいたせいで、ぼくはまるでバリ犬のブリーダーのような気分になり“罪悪感”まで持ってしまった。
 避妊手術はプリアタンの獣医にお願いした。ところがこの獣医は牛や豚などの家畜が専門で犬には弱いというので、わざわざデンパサールに住むかれのともだちの獣医に助っ人を頼み、大仰にもふたりがかりの手術となった。
 2階のコンクリート打ち放しの場所にテーブルを置き、そこで麻酔にかけられたデウィの手術が始まった。準備まではぼくも手伝ったが、血を見るのが苦手なのであとはふたりの獣医にまかせ下に降りた。
 どのくらいの時間が過ぎたろうか、とつぜんデウィの「ギャウォ〜ン、ギャウォ〜ン」という悲鳴があたり一帯にとどろいた。なにがあったのかと驚き、急いで階段を駆けのぼり獣医たちのいる場所に走っていくと、獣医がつぶやいた。
「麻酔が切れた」
 もうひとりは「麻酔が足りなかった」とつけくわえた。腹を裂かれたまま、血だらけのデウィは必死の形相でぼくを見た。
 あっ、まずい! と思ったが、もう遅かった。なにがまずいかと言うと、デウィがいまの痛みとぼくとを結びつけて記憶してしまうからだ。
 まったく! そろいもそろってこんなヤブとは思いもよらなかった。追加の麻酔注射を用意している獣医らに、かけることばも失ってぼくはふたたび下に降りた。
 手術が終わり、獣医たちが帰ったあと麻酔から覚めたデウィは案の定、脱兎のごとく家から走り去った。麻酔が覚めたあとに、あんなふうに走れるというのはふつうあり得ないことで、よほどの恐怖心に襲われたか、あるいはふたたび麻酔量が足りなかったかのどちらかだ。いずれにしても、ヤブのなせるワザには違いない。心配していたとおりになってしまった。
 夜になっても帰らないデウィを探しまわったが、けっきょくその日は戻ってこなかった。
 ところが、翌日の朝、ケロッとしてデウィはもどってきた。腹にテープでとめた包帯もはがされていないのを見て安心した。やはり、性格がプートラとはずいぶん違うのだな、とあらためて感じた。

 デウィ最大の受難は、このマスに移ってからの2004年のことであった。
 そのとき、ぼくは用事があってジャカルタに滞在していた。ある日の昼過ぎ、丁稚のMからぼくの携帯に電話があった。
「デウィのシッポが切られてしまいました!」
 なに !? シッポが切られた? にわかには意味がつかめなかった。問い直してみると、誰かはわからないが、近辺の百姓にシッポを切り落とされたというのだ。こう言われてもなお、現実味を欠いていて、じつのところピンとはこなかった。トカゲじゃあるまいし、犬がそうそうシッポを切り落とされるなどというのは、想像すらしにくい。
 とりあえず応急処置を指示して、翌日、ぼくはバリにもどった。
 たしかに信じられないことだが、デウィはシッポを切り落とされていた! ぼくの親指ほどの長さしかシッポが残っていないのだ。切断面は金太郎アメではないが、きれいに毛、皮膚、薄い肉そして骨とそろって見えた。
 ドン百姓が! と怒りがこみあげた。
 日本ではもう「農民」ということばは一般的にはつかわれなくなったのだろうか? ぼくのボキャブラリーのなかではいまでもしっかり生きていて、ふだん隣の農地で作業をしているひとびとを、やはり「農民」という意識で見ている。「農家のみなさん」とか「農業従事者」ということばは、まったく浮かばない。しかし、このデウィのシッポを切り落とした人間については「ドン百姓」という語しか浮かんでこなかった。

完治後、チェリーとシンクロ・スリーピング。
 治療にあたった獣医に、もちろん避妊手術をしたのとは別の獣医だが、その獣医にデウィが味わわされた受難の数々を語ると、あっさり、
「この犬のカルマですね」
 ときた。
 カルマ(業)─こういうケースでもこのことばがつかわれるのか、とおかしくもあったが、「犬のシッポを鎌で切り落とす」人間の業(ごう)の深さというのは、なにか暗澹とした気分にさせられるものに澱んでいる気がする。

 デウィは今年で生後11年、ひとの年齢をもって数えれば65歳ぐらいになるが、いまだに元気いっぱい。肢の長いネズミのようだった子犬が、試練を乗り越えてとりあえずここまで生き延びてきたが、いや、まだまだ油断はならない、と飼い主であるぼくは考えている。