バリの犬たちと出会う 3

 プートラは去ってしまったが、メス犬のデウィはぼくのもとにとどまった。
 この犬は、ぼくがバンジャル・カラーにいるときに、隣人、といっても数十メートル離れた場所に住んでいた、バリニーズの一家が飼っていた子犬だった。ギアニャールの市場で拾われたそうで、この一家の幼い女の子が人形でも抱くように、胸に抱きしめているのを見たことがあった。
 いつのころからか、プートラのいるぼくの家にしょっちゅう遊びにくるようになった。おかしかったのは、この子犬の姿だ。毛並みは黒く、顔つきはとんがり、痩せてはいたが素早い動きをみせる。遠くから見ると、肢の長いネズミが走りまわっているようで、この子犬がウチの庭に入ってくるたびにぼくは声をだして笑ってしまった。
 一般的に、バリ人は犬に決まったかたちでは餌を与えない。じぶんたちの食事中に、骨や残り物をポイと投げてあげるだけだ。この子犬も例外ではなかっただろう。だから、ウチにきたときには少し餌をあげるようにしてあげた。ただあげるだけではなく、“礼儀”というものも教え込んだ。「お座り、お手、おかわり」である。覚えの早い子犬だった。
 あるとき、プートラが餌を食べているところへこの子犬がやってきた。見ていると、食べている最中のプートラの前にちょこんと座り、懸命に「お手」をプートラにむかって差しだしているのである。このときも、ひとりで大笑いしてしまった。
 そのころウチにいたスタッフが、この子犬を「ニャイ、ニャイ」と呼んでいた。バリ語である。どういう意味かと尋ねると「オンナ、メス」という意味だった。う〜ん、それはないだろ、と感心せず、ぼくはこの子犬に「デウィ(女神)」という名前をつけてあげた。本名は─バリ人一家がつけていた名前は知らないままだった。
 
 このデウィの“受難史”は、別の隣人に空気銃で肢を撃たれたのに始まるが、そのときに介抱してあげたのがきっかけで、とうとうデウィはウチにいつくようになってしまった。プートラとの二人三脚でくりひろげるおかしさも、ぼくにとっては日々の楽しみになった。

 話はふたたびプリアタンのタガスに、プーが出奔してすでに半年以上が過ぎたころにもどる。
 
 ある夜、厚い木の門扉を外側からガリガリと引っ掻く音に気づいた。プーがやってきたのだ。部屋から出ると、デウィはすでに扉の前に身をかがめて隙間に顔を近づけ臭いをかぎながら、クィンクィンと鼻を鳴らしている。すぐそばで娘のプートゥリが、なにが起きたのかと不審な表情で母親を見ている。
 木の閂(かんぬき)を引き抜き、戸を開けるとプーが立っていた。
 デウィは大喜びでプーを歓迎し、二匹はもつれあうようにしてからだをこすりつけると、一気に走りだした。ベランダに飛び上がり、そのまま2階まで駆けのぼる。生後3か月のプートゥリはなにがなにやら分からないまま、オトナたちといっしょになって嬉しそうに階段をのぼっていく。
 やがて三匹の犬がひとかたまりになって、ころがるように階段をおりてきた。デウィは息をハッハッとさせながらプーの顔を見上げている。プートゥリも尻尾を千切れんばかりに振りながら、初めてご対面したプーを見ている。
 二匹の母娘の熱い大歓迎のしぐさとは逆に、プーだけが、すっかり冷めた表情に変わってプートゥリを見た。
「誰? こんなコ、ぼくは知らないよ」
 と顔をしかめてじっとプートゥリを見ているのだ。そして、おもむろにデウィに視線を移す。
「そうなのか、デウィ、きみにはこどもができたんだ…」
 三匹の犬の様子をそばで観察していたぼくには、こうとしか解釈できないような表情がプーの様子からうかがえた。出奔後、二度目の「ご帰還」だったが、あまりにも間があきすぎた。その間に、デウィは妊娠と出産、育児を経て、いまはただ一匹、手元に残された娘といっしょだ。
 デウィは言いわけもせず、黙ったままプーから視線を離さない。
「だって、仕方ないでしょ…」
 とでも言いたいのだろうか。
 プートラは、プッと横をむくとそのまま立ち去ろうとする。ぼくは、このとき初めて「プー」と声をかけた。プーはぼくの顔を見たが、そのままベランダから降り、出口に向かって歩きだした。
 ぼくはプーのあとをついていき、二匹の母娘は興奮もすっかりおさまりぼくの後ろを静かについてくる。門を開くとプーはスッと出ていった。初めての帰還のときには、帰りぎわ、後ろをなんども振り返りながら帰っていったのに、こんかいはどうやら後ろ髪をひかれることはまったくないようだ。
 ぼくは大通りの入り口まで、プーの様子を見にいった。
 ちょうどこの日は、ニュピの祝日で表通りには車もひとの影もない。プーは、真っ暗な静かな道をとぼとぼとバンジャル・カラーの方角に歩いていく。
「プー、プー」
 声をおさえてぼくが呼んだら、一度だけプーは振り返った。
 これを最後に、プーがデウィを訪ねてくることはもうなかった。