チェリーの病気

 しばらく犬の話がつづく。
 いまの日本のペット化された犬たちの姿は、かつての日本の犬とは大いに異なっている。犬種が圧倒的に変わったのと、飼われ方が過去の「放任主義」からときには過保護とさえいえそうな、見方によっては、人間と犬のどっちが「ペット」なの? と皮肉を言いたくなるような関係まで生まれている。
 記憶をたどると、‘50年代、‘60年代の初めまで、ぼくの住んでいた東京下町では野犬狩りがさかんに行われていた。犬に噛まれたり、夜道を歩いていて犬に吠えられたりして往生するなどの不都合のほかに、狂犬病の流行を阻止するのがおそらく最大の目的だったのだろう。
 当時の犬たちは、飼い主がいても首輪をしていなかったり、当然、鎖にもつながれていなかったりするものも多かったので、勝手気ままに路上をうろついていた。忠犬ハチ公が、主を出迎えに渋谷駅まで単独歩いていけたのは、鎖につながれていなかったからこその光景だ。
 路上をスタスタと自由に歩きまわる様子は、バリの現在の犬たちの姿に似ていたともいえる。

 ところが、昨年11月からバリで流行しはじめた狂犬病のせいで、ストリート・ドッグがつぎつぎと路上で殺されている。その数は発表されていないが、被害患者発生地域にたむろする犬たちを感染の有無の確認もないまま、十把一絡げに殺戮する方法には動物愛護協会からクレームがでている。より“人道的”な方法を探るために関係機関と協議するというが、かなり難しい気がする。
 新聞には、殺された犬の死骸が道の片隅に積まれている写真が掲載されていたことがあるけれど、無惨な印象を残すだけの報道写真であった。
 一方、州政府は無料ワクチンの接種を呼びかけているが、犬を飼っている住民のうちどの程度の数がこの方策に応じているのかも統計上明らかにはされていない。
 余談だが、この無料ワクチンを有料で接種して金を着服していたブレレンの病院関係者が、当局から処分を検討されているそうだ。こういう輩も「火事場泥棒」といえるのだろうか。ここでは、珍しくもない話だが。

 ウチの犬たちも狂犬病予防ワクチンを接種しているが、来年のチェリーにはひょっとしてその必要はないかもしれないとも思っている。
 8月にちょっとしたことで肢の関節を傷めたまま、獣医による3度の往診でラチがあくどころか、どんどん症状は悪化しいまは立ち上がることもできなくなっている。
 遅きに失したのは承知しているが、きょうデンパサールの別の獣医のもとで受診、レントゲン検査の結果「骨髄線維症」あるいは「骨肉腫」の疑いがもたれた。いずれにしても難病であるには違いない。きょうの診断では、骨髄線維症治療を目的にした投薬を今後ひと月つづけることになった。

きょうの午後、病院からもどってきたところ。
 当地の医者にありがちな「誤診」を期待したかったが、レントゲンに写った骨格の影を見るかぎり、二か所の病巣部は、しっかりと輪郭を備えた骨というよりも粉をふいたような、霞のようなかたまりでしかなかった。
 麻酔から覚めたチェリーを車の後部座席に乗せて帰ってきたが、流れる外の風景を耳をそばだてながら終始じっと見つづけていた。

「チェリー」という犬の名前は、ぼくの家族にとってはある特別の意味があった。‘50年代終わりから‘60年にかけて家で飼われていた小型雑種犬の名前なのだが、こどものぼくにとってもこの犬の「賢さ」は驚異的に思えた。「ことば」が通じたのだ。
 当時、TV番組で流されていた「名犬リンチンチン」のシェパード犬や、「名犬ラッシー」のコリー犬などの賢さには足下にもおよばないとしても、忘れられない数々の思い出をわれわれに残していった懐かしい犬だった。
 だから「チェリー」の名前は、いわば名誉背番号のようなもので、めったな犬にはつけられない、と長い間つかわずにいた。
‘91年に、デウィが難産の末にたった一匹のこどもを産んだ。真っ白い犬で、くりくりとした黒目がかわいらしかった。アザラシの「ゴマちゃん」にも似ていたので、はじめは「ゴマ」となづけていたが、成長するにつれ「ああ、これはいままでの犬とは違うな」と感じた。この感じは、きわめて主観的なもので説明しにくいのだが、あえて言えば飼い主への信頼感のあらわし方、とでもいおうか、従順さがそれまでの犬とはまったく違っていた。
 それで、生後ひと月が過ぎてから名誉背番号の「チェリー」と改名したのだ。
 去る5月に、東京でひさしぶりに姉を訪ねたが、そこで新しく飼われていた犬の名前が「さくら」だった。かつてのチェリーについての共通の思い出が、それぞれに現在の飼い犬への思い入れとなって現れているのがおかしかった。

 バリで生まれたチェリーは、バイクに乗るのが大好きだ。
 ある日、スタッフらがバイクを連ねて近場にバナナの幹を採取に出かけたとき、いつものように彼らのあとを追って走っていたチェリーをひとりのスタッフが、試しにバイクの座席に座らせた。
 両腕はハンドルにかけ、お尻はきちんとシートに落ち着かせ、肢を前部フードに突っ張らせる。誰も教えてもいないのに、じぶんで居心地の良い体勢をつくって上機嫌になっている。
 ぼくも以前はよくチェリーをバイクに乗せて走ったが、その表情を見るのがとても楽しかった。耳をピンと立て、顔を少し上向きにして風を思いっきり受ける。口を開けて舌をたらし、目を輝かせている。ときどきぼくの顔を振り返り笑っているようにも見え、また、嬉しくてしかたないんだ、とでも言いたげな表情を見せるのだ。
 道行くひとびとが驚いて振り返ったり、観光バスに乗ったツーリストたちが窓を開けて、カメラやヴィデオにチェリーの姿をおさめようとしたりしている。チェリー自身はともかく、ぼくには自慢の一瞬ではあった。

前の丁稚のMと”ツーリング”からもどったところ。2005年。shimobros撮影
 きょう、ひさしぶりに車に乗せてデンパサールに向かって走ったときにも、チェリーはわずかに喜びの表情を見せていた。飛んでいく風景を飽かず眺め、しばし痛みを忘れているようだった。
 獣医は診察後の説明で、かりに「骨肉腫」だった場合には、肺に転移する前に安楽死の処置をとるほうが…と暗ににおわせていたが、いまそれは考えない。
 きょうからの投薬が、チェリーに少しでも効果をもたらしてくれるのを願っているだけだ。