一日観光から

 先日、日本からやってきた友人らにつきあって久しぶりに観光気分にひたった。
「きれいなお寺が見たい」というリクエストがあったので、バンリのケヘン寺院、タンパクシリンのティルタ・ウンプル、それにちょっと異色のグヌン・カウィを選んだ。
 こういうプログラムには、きっとバンリ出身のWがドライバーとして適役かなと思い、かれに頼んだ。友人らの滞在中の移動には何度か車の手配を仰せつかったが、そのときどきに頼んだ3人のドライバーの名がみんな「ワヤン」だったので、彼女らにとっては一発で名前が覚えられるので楽だったに違いない。

 ケヘンに向かう前に、Wが一か所案内したいところがあるというので素直にしたがった。そこへ近づいたころ、
「あら、ここ昨日来たところと違う?」
 と、ひとりが言った。3人のうちのふたりは、昨日べつのWに案内されてゴア・ガジャやィエー・プルに行ったのだが、どうやらここブキット・ジャティにも来ていたらしい。
 Wは「ここはパワー・スポットです」と説明した。
「あら、昨日は、“シークレット・スポット”って言ってたわよ」
 同じWでも、そのキャラクターの違いからだろう、土地の意味合いまで変わってしまうのがおかしかった。ふたりのドライバーをよく知っているぼくには「さもありなん」と思えた。
 で、その“パワー・スポット”でWは、ぼくと同年代の3人の女性を横に並べ、インド洋に浮かぶヌサ・プニダ島を遥かに望む南方にむかって立ち、「パワーをもらいましょう」と声をかけると“経文”を唱えはじめた。
「オーム、シャンティ、シャンティ、シャンティ、オーム…」
 われわれのすぐそばにいた高校生らしきふたりの少年は、とつぜんおしゃべりを止め、キョトンとしている。なにが始まったんダ!? という感じか。俯いてもじもじしていたが、ひとりがやおらタバコを取りだして火をつけた。そそくさと立ち去るでもなく、じっと座って俯いて「邪魔」をしないようにしている様子が微笑ましかった。

昨日はシークレット・スポット、今日はパワー・スポット
 バンリのケヘン寺院正門は、数十段の階段の上に聳えるように建っている。荘厳さとうつくしさを備えた宗教建築の理想的な姿をみせている。
 ぼくらが境内に入る前に、観光ガイドに連れられてきていたフランス人のグループと日本人のグループが立ち去ったあとは、ほかに訪れてくるひともなく静けさがいっそう深くなった。
 バリの寺院はどこもそうだが、祭礼の賑わいのない今日のような日は、「無」といってもよいし「空」といってもよいが、とにかく徹底して「なにもない感覚」がぼくらを包みこむ。
 これに似た感覚を、かつてぼくは伊勢神宮内宮や鎌倉八幡の杜で味わったことがある。それは、奇妙に充実した「無」の感覚だった。
 哲学者の中村雄二郎氏は、バリの寺院に特徴的にみられるこの感覚を「密度の高い空白、あるいは空白の充満」(『魔女ランダ考』)と適切に表現している。

ケヘン寺院正面
 昼食は、Wの奥さんがやっているベジタリアン・ワルンでとった。この奥さんは、いわゆるヒーラーでインドまで出向きサイババに2度も“謁見”が叶ったそうだ。彼らの住まいに接した建物は“アシュラム”として、多くの信者さんたちが集まってくるらしい。
 思い出したことがある。
 Wが車を運転して観光客を案内するようになったのは、たしか8年ぐらい前だったが、ちょうどその頃、ぼくはジャワのジェンブルに用事がありWに運転を頼んだ。地理に詳しいジャワ人の青年Jも同行した。
 朝、ウブッドをでて車は田園地帯をのんびりと走った。Wはカセット・テープをかける。どうやらサイババ関係の音楽らしい。Wはテープから流れるコーラスにあわせて口ずさんでいる。
 緑の田んぼと遠い森を眺めながら、サイババ・ミュージックを耳にしているのも悪くはないかな、とはじめのうちは思った。車はじつにゆっくりと走っている。ゆっくり過ぎると気づいたのは、ほかの車やバイクに追い抜かれっぱなしなのは、運転初心者のWなのだから仕方ないとあきらめていたが、なんと自転車にまで追い越されているのだ!
 テンポのゆるやかな曲は、Wの気持ちを落ち着かせているのだろうが、速度がこれではいったいいつになったらジャワに着くのか、と気になりだした。
「W、この道は走ったことがあるのかな?」と尋ねると、「初めて」という。いままで、どんな所まで行ったことがあるかと再び聞くと「バンリとウブッドの往復だけ」とこたえが返ってきた。不安を駆り立てるやりとりが終わると、Wはまたテープ音楽にあわせて口ずさみだした。
 Jと顔を見合わせた。人選にモンダイありとそのときになって初めて気づいたが、引き返すわけにもいかない。
 車がようやくヌガラの街を過ぎた頃、道路前方に深めの穴が見えた。ぼくは当然避けるものと黙って見ていたが、Wはためらうことなく穴に車のタイヤを突っ込んでしまった。そして、パンク!
 すでに午後も3時を過ぎ、ふつうならとっくにジャワに着いているはずなのだが、ぼくらはまだバリのヌガラにいて、車のパンクの修理をしている…。
「ぼくの奥さんが、朝、家を出るときに“車がパンクするからネ”と言ったけど、ホントだった」
 とWが言った。「パンクは何回あるって言った?」とぼくが聞き返すと、幸いなことに、Wの返事は「1回だけ、って言ってた」だった。

 一日観光の日も、Wはときどき極端に速度を落とすときがあった。前方にほかの車があるわけでも、なにかの障害があるわけでもない。フッと気が抜けたように速度が落ちるのだ。自転車に追い抜かれても不思議ではないくらいのスロードライブ。そのたびに、助手席に座っているぼくはWの横顔を見た。“見た”というよりも“点検”したといったほうがいい。
 後部座席に座っている友人らにはこのことは言わずにいたが、運転中に瞑想でもしているんじゃないか、と心配になったからだ。
 かれはじっと前方を見たままハンドルに手をかけていた。

 グヌン・カウィの入り口に着いた直後に、雷をともなう強い雨が降ってきた。けっきょく、この日は、グヌン・カウィの見学はあきらめた。