タガスの家の怪 1

 プリアタンのタガスの借家には、2001年から‘04年の初めまで住んでいた。
「バリの犬たちと出会う 2」で少し触れたように、この家ではちょっと奇妙な出来事がたびたび起きた。とくに、2002年後半から2003年にかけてがピークだった。
 こういう話題をどの程度客観的に語れるか、あるいは現実的な解釈に照らし合わせて他者を納得させられるか、という点についてはあまり考えずに思い出すままに書いておきたい。


 前に書いた、犬のプートラが2階の隅からとつぜん姿を消してしまったのに関連して、やはり犬のデウィの身に起きた不思議な出来事が思い出される。
 ある夜、ぼくはバイクでウブッドに出かけようとしていた。門の閂(かんぬき)を引き抜いて戸をあけたとたん、後ろで待ち構えていたデウィがぼくの横をスルリとぬけて外に飛びだしてしまった。
 この門は、バリ家屋に特徴的な左右をブロックやレンガで積んだ、割れ門風のつくりで、戸口は厚い板を両開きにした扉でできている。高さは2m半ぐらいあったろうか。この門から左右に高い塀がめぐらされているのが普通である。ぼくの借りていた家は、向かって左側はすぐに家屋につながり、右は「コ」の字に2mちょっとのブロック塀がつづいていた。
 扉の鍵は内側からは閂、外側は南京錠で締めるようになっていた。その扉からデウィは隙をみて飛びでてしまったのだ。
 本心を言えば、犬が外に飛びだそうが近所をうろつこうが、いっこうに構わないとぼくは思っている。ただ、このタガスではすでにプートラは鎌で首を切りつけられるわ、デウィだって背中に刃物を突き立てられるわと不快な目にあっているわけで、そういう陰湿な暴力にじぶんの飼っている犬が再びさらされるのが嫌なだけなのだ。

 
 出ていってしまったものは仕方ない、ぼくは外側から南京錠をかけバイクででかけた。
 小1時間ほどして、ぼくは家に戻った。ふつうは、外に出ていったデウィも、帰ってきたバイクのモーター音を聞けば、どこからか姿を現してぼくの後ろについてくるものだが、このときは姿も見せなかった。まだどこかをふらついているのかと思い、ぼくは門の横にバイクを置き、南京錠をはずして扉を開けた。
 開けた瞬間、目を疑った。デウィが中にいる…。門の内側でシッポを振りながらぼくを出迎えているのだ。
「どうやって入ったんですか !?」
 と聞きたいところだが、返事はあるわけもない。


 同居している丁稚のMも、奇妙な体験をしている。
 ある夜、壁をドンドン叩く音と「バパッ、バパッ」とぼくを呼ぶかれの叫び声で目が覚めた。Mの部屋は、ぼくの寝室と壁を挟んでいる。その壁の向こう側から壁を叩きながら、必死に叫ぶかれの声が聞こえたのだ。
 ぼくはとっさに夜盗かと思い、飛び起きると部屋を出て居間をぬけかれの部屋のドアを開けた。かれは、ベッドの上に起き上がり震えていた。なにがあったのか尋ねると、ちょうどいまぼくが開けたドアからついいましがた、髪の長い恐ろしい形相をした巨人が入ってきた、と言うのだ。髪の毛はびっしょりと濡れていたそうだ。
 夢か、あるいは金縛りの幻覚かなと最初ぼくは思った。かれが眠りにつくまで、しばらくそばにいてあげた。
 その後も、しばしばMはこの巨人を目撃しているが、ぼくがあまり真剣に取り合わないとみたらしく多くは語らなかったが、工房の同輩たちにはよく話していたらしい。
 真剣に取り合わなかったのではなく、ぼく自身、この家にこもっている「気」とでもいえそうなものに、とくにからだが取り憑かれたように弱っていくのを感じていた。風通しの悪い、底冷えのする洞窟にでも住んでいるような感じだった。
 Mの見たという巨人の話も虚言とは思っていなかったし、さりとて実体として考えるというより、M自身もこの家にこもる何かに影響を受けているのではないだろうか、と考えていたのだ。


 とはいうものの、ではどうすればいいのか見当もつかなかった。

 
 12月に入って、とりあえず一時帰国しようと2週間ほど家を留守にした。その間、Mひとりをこの家に取り残すわけにもいかないので、かれの弟さんにしばらく一緒に留守を預かってもらうことにした。
 わずかな期間だったが、日本の空気を吸ってきたのはよかったようだった。バリにもどると、からだがまったく変わっているのを実感した。これで、大丈夫と思った。
 そして、留守中にも、やはり奇妙な出来事がMだけではなくかれの弟も同時に体験していた。ある晩、ふたりでTVを観ていたら、あちらこちらからネズミがいっせいに入ってきて部屋の中を走りまわったのだ。ふたりは、なすすべもなく、椅子の上にのぼって床を走るネズミを見ていた、という。やがてネズミは出てきたときと同じように、またたくまにいっせいに姿を消してしまったそうだ。
 この家でネズミが出たのは、このときが最初で最後だった。


 暮れていく2002年、ぼくは不吉な予感がぬぐえないまま新しい年を迎えることになる。
 ただ、からだがすっかり持ち直していたのがなによりもありがたかった。